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小満末候   麦秋至[むぎのときいたる]

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2018年6月4日更新
【キュレーター】浦 ひとみ 玉名・荒尾エリア

肥後六花(ひごろっか)のひとつである肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)が、県内で見頃の時を迎えています。
肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)は、江戸時代から明治時代にかけて熊本藩士とその後裔によって育成されてきました。
現在は、熊本地震の被害の為に休園している熊本城内に設置されている「肥後名花園」でもその艶やかな姿を見ることができます。
肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)には、三英花と六英花があり、いずれも花弁が大きく幅が広く、花色は白、紫、藍、紅、瑠璃、褐、絞りなどがあります。雌蕊が大形で富士山のような形をしており、花期は6月上旬から中旬です。
池や堀割に植えて、上から眺める江戸花菖蒲が上から見て美しいように仕立てられたのに対して、肥後花菖蒲は鉢植えにして座敷で観賞するため、横から見た姿が美しくなるように改良されました。
肥後花菖蒲の起源は、江戸時代に遡ります。
花菖蒲の野生種から優れた栽培品種を作り出していた旗本の松平定朝という者がおりました。
熊本藩主の細川斉護がその花菖蒲を譲って貰えないかと打診しましたが、定朝はその頼みを断りました。これを聞いた斉護は、熊本藩士の吉田可智を、江戸勤番の際に定朝に弟子入りさせ、1833年(天保4年)にようやく「門外不出とする、熊本で良い花ができたら江戸に送る」という約束で譲り受けた5品種が、肥後花菖蒲の起源です。
閏之助が定朝と交わした約束は、今も守られ続けており、友人知人はもちろん、親兄弟、妻子への譲渡も禁止されており、それは花の出来が悪くても例外ではなく、余分な苗は焼き捨てることとされています。
熊本の有名な肥後花菖蒲の花どころであり、現在、高瀬裏川花しょうぶまつりで賑わう玉名高瀬裏川に先日、お伺いしました。
高瀬裏川は、菊地川と繁根木川に挟まれた玉名市永徳寺に位置します。
高瀬船着場跡周辺は、中世には高瀬津と呼ばれており、伊倉の丹倍津とともに有明海沿岸の河港として発達しました。その後室町時代倭冦の頃には、本格的な港として成長をとげました。
天正16年(1588)に、加藤清正の肥後入国後には、大河川の治水と渡し場、米の集散場設置のため河口を改修しました。
菊池川、緑川、球磨川を選び、その河口の高瀨、川尻、八代、の三河口をつくって、産業、経済、交通の中心となりました。
船着場周辺には菊地川流域の米の集積地として米蔵が設置され、米の陸揚げと、積み出し船の発着場として整備が行われました。
加藤氏の改易後は、船着場は細川氏が受け継ぎ、堤防下の川岸に堅固な石畳と石垣を築き、間を切って米蔵へ通ずる石段と、米蔵より川へ通ずる石敷の坂道と川へ突出する石畳を設置されました。その高瀬裏川には、約66000本のしょうぶの花が咲き誇っています。まつり期間中は、日没から花しょうぶのライトアップが行われ、約700メートルにわたり矢旗が勇壮に立ち並び、会場の目印となっています。
私がお伺いした日も梅雨の中休みでとても暑い日でしたが、堤防下の川岸に敷き詰められた石畳を歩いているとその暑さを忘れるようです。

開催期間:2018年5月25日〜2018年6月9日
期間中ライトアップ有
メインイベント:6月2日(土)
アクセス:JR玉名駅から車で5分。
開催地:高瀬裏川水際緑地一帯
問合せ先:玉名市 ふるさとセールス課
〒865-0025 熊本県玉名市高瀬290-1玉名商工会館2F
TEL 0968-73-2222
FAX 0968-73-2220