「人にも環境にも優しい」をモットーに 植物の持つ美や力を精一杯引き出す
[ #049 ]
#035
江戸時代、武士のお洒落として発展した「肥後象がん(ひごぞうがん)」。この雅味あふれる伝統工芸に現代のエッセンスを加え、創意に富んだ作品を生み出しているひとりの職人をご紹介します。
秋分の日が過ぎ、頬をなでるひんやりとした空気に秋の深まりを感じ始めるころ、熊本では恒例の「くまもとお城まつり」が開催されます。春と秋、年に2回開かれるこのお城まつり、秋は熊本城内の二の丸広場をメイン会場に、太鼓響演会や古武道演武会、薪能など、日本の伝統文化や芸能の催しが行われます。まるでタイムスリップしたかのような光景を眺めながら、熊本城を築城した加藤清正の時代に想いを馳せる人も多いことでしょう。そんな加藤清正が成り立ちに関わり、以後熊本で花開いた伝統工芸が「肥後象がん」です。漆黒の鉄地に金銀をあしらった精緻な意匠は、全てが職人の手仕事。熟練の技巧が400年という歴史の重みを感じさせます。この技術を継承しつつ、柔軟な発想と多彩な素材で肥後象がんに新たな命を吹き込む肥後象がん士・稲田憲太郎光秀さんの工房を訪ねました。
熊本市西区に位置する金峰山(きんぽうざん)。豊かな自然と史跡を有し、「市民の山」として親しまれているこの山の中腹に、稲田憲太郎光秀さんの工房があります。三方向に設けられた窓からさんさんと光が差し込む自宅奥の一室に機材や道具がぎっしりと並ぶさまは、まるで小さな鉄工所のようです。「目を覚ますと小鳥のさえずりが聞こえます。毎日森林浴をしているようで、心地よく仕事ができるんですよ」。柔和な笑顔でそう話す稲田さんは、肥後象がん士として国内外に活躍の場を広げている若手の第一人者です。
肥後象がんは、約400年の歴史を持つ熊本の伝統工芸です。江戸時代、肥後熊本藩主・加藤清正や細川家に仕えた鉄砲鍛冶の林又七が、銃身や刀の鍔(つば)に九曜紋(くようもん)などの装飾を施したことが始まりとされ、武家文化の隆盛と共に発展しました。特徴は、派手さを抑えた上品さと重厚感。日本独特の美意識 “詫び寂び”を表した閑寂な意匠が武士たちによって愛好されました。特に細川忠興公は何人もの名匠を召し抱えてその技を競わせたため、後世に残る名品が次々に生み出されたといいます。明治9年(1876年)に廃刀令が発布されると、刀装金具の需要がなくなり、肥後象がんは衰退。しかし、その後はアクセサリーや工芸品など日常的な道具へと姿を変え、現代に受け継がれています。2016年に開催されたG7伊勢志摩サミットで、各国首脳などへの贈呈品として肥後象がんを施した万年筆が贈られたのは記憶に新しいところではないでしょうか。
幼い頃から何か作ったり絵を描いたりするのが好きだったという稲田さん。叔父が肥後象がん士であったため、仕事する姿を間近に見ながらモノづくりを生業にすることへの興味を深めていきました。定時制高校に通っていた17歳の時に肥後象がんの道に進むことを決意し、19歳で、人間国宝・米光太平光正氏をはじめ多くの肥後象がん士を輩出した米野美術店に就職します。働きながら基礎を学び、4年後に河口知明氏に師事。「修業は口伝のみで、師匠の技を見て覚えるという世界。最初は基本の技法である布目切りを3ヶ月間練習し、それから簡単なデザインの象嵌を入れさせてもらい、少しずつ学んでいきました」。技術の習得に励む傍らで次第に注文も受けるようになり、およそ7年間の修行を経て26歳で独立します。しかし、独立当初は肥後象がんだけでは生活できず、ガソリンスタンドや皿洗いなど様々なアルバイトを掛け持ち。象がん1本で食べていけるようになったのは34歳の時でした。
現在はほぼオーダーメイドのみで制作活動を行っている稲田さん。帯留め、香炉、ピンバッジ…。卓抜の技術から生まれる端正で美しい手仕事にファンも増え、休む間も惜しいほど日々作品作りに励んでいます。オーダーメイドの醍醐味について尋ねると「誰のために作るのかを考え、追求していくこと。お客様の要望に真摯に応えることが自分の技の成長に繋がります」。「静」の世界観が多い肥後象がんですが、稲田さんは生き生きと躍動感あふれる動物や川魚などをモチーフにすることも。現代の肥後象がんの主流である布目(ぬのめ)象がんだけでなく、昔、肥後の職人たちが行っていた高肉(たかにく)象がんや掘り込み象がんなどの技法も駆使して立体的で表情豊かな作品に仕上げます。さらに、ナイフなどに使用される「ダマスカス鋼」の素材である鋼を象がんしやすい軟鉄に変え、刃物職人と共に開発した新素材など、これまでの肥後象がんでは見たこともない素材での作品作りにも挑戦しています。そんな活動は各業界から注目され、2017年には、新しい発想でモノづくりに取り組む若き匠をサポートする「レクサスニュータクミプロジェクト」の熊本県代表に選出。「SAMURAI」をコンセプトに作り上げた作品は、バイヤーを始め、多くの人々に支持されました。
「若い人たちにも肥後象がんの魅力を知ってほしい」と、熊本市で象がん教室を行う他、学校や国内外でのワークショップも精力的に開催。「情報過多な今の時代って、体験することや感じることがおろそかになっている気がするんです。昔の職人たちはいうなればオタク。彼らが全身全霊をかけてこだわり抜いた仕事を体感することを通じて、日本人独特の感性やルーツみたいなものを感じとってもらえたら。そしてたくさんの人に肥後象がんを楽しんで使ってもらえたら嬉しいですね」。今後は視点を変え、アート性の強い作品づくりにも取り組んでいきたいと熱く語る稲田さん。伝統を守りながら挑戦し続けるその姿は、まるで現代のサムライのようにも見えました。
「人にも環境にも優しい」をモットーに 植物の持つ美や力を精一杯引き出す
[ #049 ]
白磁の美しさを小花に込めて
天草陶石のアクセサリー〈天草陶花〉
[ #048 ]
熊本地震に耐えた登り窯と、自家栽培作物の釉薬(ゆうやく)で作陶
[ #047 ]
300年以上にわたって守り続けられる、
伝統の製法と味「手延べそうめん」
[ #046 ]
伝える副業林業へ。故郷の生き方を模索する2拠点ライター
[ #045 ]
ゆっくりと時が流れる和水町の手作り家具職人
[ #044 ]
熊本の城下町をぶらり歩けば、町並みに刻まれた書家の筆跡
[ #043 ]
自然と寄り添う隠れの里で受け継がれる早苗餐(さなぶり)のみょうが饅頭
[ #042 ]
季節のなかの、家族のおきて ~好きに囲まれて暮らす~
[ #041 ]
季節のなかの、家族のおきて ~島田家のセンス~
[ #040 ]
季節のなかの、家族のおきて ~島田家の季節の味
[ #039 ]
季節のなかの、家族のおきて ~島田家のお正月~
[ #038 ]
スポーツ競技世界の舞台で、光輝く肥後の伝統美
[ #037 ]
お殿様が愛でた無二の焼きもの、八代焼上野窯
[ #036 ]
武士の美意識「肥後象がん」。伝承と革新のものがたり
[ #035 ]
和紙工芸「山鹿灯籠」から生まれた、暮らし彩る新プロダクト
[ #034 ]
暮らしを彩るモノとコト「愛用することで、生きる道具」
[ #033 ]
暮らしを彩るモノとコト「和紙のふるさと、手しごとのふるさと」
[ #032 ]
暮らしを彩るモノとコト「心まで温まる、お茶の時間」
[ #031 ]
露草色の空に虹を見る、「清明」と「穀雨」の頃。
[ #030 ]
五感で春の到来を感じる「啓蟄」と「春分」の頃。
[ #029 ]
一時の温かな日差しに、春の近さを感じる「立春」と「雨水」の頃。
[ #028 ]
雪下に萌黄の芽を探す「小寒」「大寒」の頃。
[ #027 ]
水温み、森羅万象が動き始める「雨水」と「啓蟄」の頃。
[ #026 ]
冬枯れの季節に、春の匂いを感じる「大寒」と「立春」の頃。
[ #025 ]
新しい年に祈りと願いを馳せる「冬至」と「小寒」の頃。
[ #024 ]
冬支度をしながら、師走を想う「小雪」と「大雪」の頃。
[ #023 ]
晩秋から初冬に移ろう、「霜降」と「立冬」の頃。
[ #022 ]
収穫を感謝し、伝統芸能に親しむ「秋分」と「寒露」の頃。
[ #021 ]
実りの秋と、深秋の気配を愉しむ「処暑」と「白露」の頃。
[ #020 ]
猛暑から初秋へと移ろう「大暑」と「立秋」の頃
[ #019 ]
長雨も過ぎ、七夕と夏空に想いを馳せる「夏至」と「小暑」の頃
[ #018 ]
麦が実り、大地が潤う「小満」と「芒種」の頃
[ #017 ]
初夏の「球磨焼酎」を味わい、森林と清流を想う
[ #016 ]
「端午の節句」に込められた、祈りと願い
[ #015 ]
春の海から届く、旬魚のたより
[ #014 ]
春を想う花、「桃」と「桜」のお話
[ #013 ]
魚醤、麹、味噌。3つの「発酵食」の物語
[ #012 ]
アドベントを楽しむ「クリスマス」
[ #011 ]
秋の菊。愛でて食して、風情にひたる。
[ #010 ]
秋の名月を愉しみ、暦(こよみ)を想う
[ #009 ]
伝統の技とアイデアが織りなす、新たな「和紙」のかたち
[ #008 ]
「八十八夜」の新茶を待つ、「山鹿」の春時間。
[ #007 ]
山笑う、感謝と歓びの「お弁当」
[ #006 ]
名残の雪が降る頃に芽吹く、春の「走り」の山菜と野草
[ #005 ]
和菓子で味わう“花鳥風月”と、上巳の節供。
[ #004 ]
春と福を迎えるならわし。「節分」と「初午」。
[ #003 ]
茶道「肥後古流」の作法と、年の始めの「初釜」。
[ #002 ]
年神様をお迎えする、お正月の お仕度。
[ #001 ]