天草市河浦町今富で伝統の正月飾りを伝承
Vol.13

天草市河浦町今富で伝統の正月飾りを伝承

川嶋富登喜さん  川田富博さん インタビュー
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PROFILE

川嶋富登喜さんの写真

川嶋富登喜かわしまふとき

1929(昭和4)年、天草市河浦町(旧:天草郡河浦町)今富に生まれる。農業に従事する傍ら、家畜人工授精師として畜産の振興に尽力。
かくれキリシタンゆかりの正月飾りを守っていた祖父の姿を見て育ち、その風習を継承。注連飾りや、今富の祭りの際に使用するわらじ作りも手掛けている。

川田富博さんの写真

川田富博かわたとみひろ

1952(昭和27)年、天草市河浦町(旧:天草郡河浦町)今富に生まれる。高校卒業後に上京し、郵便局に勤務。昭和57年から天草(本渡、牛深)の郵便局に勤務し、56歳で退職。現在は畑仕事の傍ら、6年前から叔父の川嶋さんと共に今富地区に伝わる正月飾りを伝承している。

※川嶋富登喜さん:以下 川嶋、川田富博さん:以下 川田、くまもと手しごと研究所:以下 事務局

農家の正月飾り「幸木(さいわいき/さわき)飾り」と、
かくれキリシタンゆかりの正月飾り「臼(うす)飾り」

事務局:
今富地区には、農家に伝わる正月飾りと、川嶋家が伝承しているかくれキリシタンゆかりの正月飾りがあると聞きました。各々について教えてください。
川嶋:
正月が近づくと、この地区の農家は「幸木(さいわいき/さわき)飾り」の準備をします。1.7mほどの長さの松の木を下げ、その中心に、藁(わら)・葉がついた真竹の先端部分・モロモク(シダ)・橙(ダイダイ)を飾り、両端に葉付きの人参・大根各3本、きれいに洗った鍬(くわ)などの道具に白紙を巻いて掛けます。そこに、塩・米・お金を入れた熨斗(のし)、昆布、スルメをはさんだ青竹を下げます。幸木や飾りは、家によって少しずつ異なります。
そして、かくれキリシタンゆかりの正月飾りが「臼(うす)飾り」です。「臼飾り」は、松の木で作った臼(うす)をひっくり返し、その上に杵(きね)を交差させたものを十字架に見立てて置きます。元旦には、臼飾りの中にマリア様へのお供え(ご飯とお煮しめ)を入れます。
川田:
私は今富地区に残る正月飾りの風習を伝承するため、6年前から叔父(川嶋さん)と一緒にその準備と飾り付けを行っています。正月飾りは12月29日に土間に保存している米俵の前に飾ります。また、家の大掃除が終わった後に、畑の一角に白紙で巻いた真竹か樫(かし)の木を挿す「庭飾り」を飾り、その年の収穫を神様に感謝します。これを正月2日の「初働き」で掘りおこし、先端を東に向けて横にして置き、その他の正月飾りと一緒に、正月7日に行う「どんど焼き(鬼火焼き)」で火に入れて燃やします。
農家に伝わる正月飾り「幸木飾り」。家を新築したり、不幸があった年は、幸木を新しい木に替える。
また、家に不幸があった年から毎年1本ずつ、編んだ小さな縄を加えていく。縄の本数が多いことは、その家に不幸がなく平穏な年を重ねていることを表す。
【写真(上・左)】
かくれキリシタンゆかりの正月飾り「臼飾り」。松の木で作った臼(うす)をひっくり返し、その上に杵(きね)を交差させ、クルス(十字架)に見立てる。
【写真(上・右/下)】
元旦には、臼飾りの中にマリア様へのお供え(ご飯とお煮しめ)を入れる。
「庭飾り」。大掃除の後、白紙で巻いた真竹、または樫(かし)の木を挿し込み、その年の収穫を神様に感謝する。

お正月に子供たちが新婚家庭を訪れる「花マンジュウ」というお祝いの行事がありました。

事務局:
今富地区のお正月の行事や風習について教えてください。
川嶋:
今では見られなくなりましたが、以前は「花マンジュウ」を行っていました。ネコヤナギや櫨(ハゼ)の木など柔らかな木の皮を剥ぎ、薄く削ったもの(花マンジュウ)を持った子供たち(男の子)が前の年に結婚した新婚家庭を訪れ、「花まんじゅう、こまんじゅ打たせた者んにゃ、めめん良か(器量の良い)子もたしゅ、打たせん者んにゃ、角ん生えた子もたしゅ」と唄いながら、お嫁さんから御祝儀の餅などをもらうというものです。
川田:
今富地区には「大川内」「西川内」「志茂」という3つの集落があり、32ほどの祠(ほこら)があります。普段から人々は「山ん神様」と呼び、お正月が近くなると祠に注連飾りを飾ります。

世界文化遺産登録を前に、今富地区に伝わる多くの文化や伝統を整理し、後世に伝えていきたい。

事務局:
その他、今富に伝わる、かくれキリシタンゆかりの行事や風習などはあるのでしょうか。
川嶋:
以前は12月25日の早朝に、まだ誰もいない山に入り「聖水」を汲みに行っていました。その日は一日仏壇の線香を焚いてはいけない、とも言われていました。また、川嶋家には白紙が巻かれている「魔鏡」があり、その白紙をこの日に新しいものに替えるという習わしがありました。仏像の裏側にマリア像が彫られているものも残っています。(魔鏡と仏像は、天草市有明町「サンタマリア館」に収蔵)
事務局:
今富に伝わる正月飾りの伝承を決意した理由を教えてください。
川嶋:
幼い頃から、毎年、祖父が大切にこの正月飾りの準備をしていたのを見て育ちました。この地には、かくれキリシタン時代の歴史に関連するものが多く残っています。父の代から神道に改宗しましたが、この地に伝わる歴史や文化を絶やしてはならないという思いで、この正月飾りを続けてきました。
川田:
そんな叔父の姿を見ていて、私が次にその風習を受け継ぐ決意をしました。今富地区には、かくれキリシタンに由来する信仰の儀礼や場所、像などの遺物、行事などが残っています。明治期のキリスト教解禁以降に、今富の大川内に建てられた教会が、現在の﨑津諏訪神社横に移されたという歴史もあります。世界文化遺産登録を前に、今富地区に伝わる多くの文化や伝統を整理し、後世に伝えていきたいと考えています。
【写真(左)】
今富・﨑津の民俗について書かれた「ふるさとの文化」(発行・富津の文化伝承の会)の中に、今富に伝わる正月飾り、かくれキリシタンに関することなどの記録が残されている。
【写真(右)】
川嶋さん、川田さんが正月飾りの準備を行う小屋。その入り口にも注連飾りが飾られている。天草では家の玄関や建物の入り口に、一年を通して注連飾りを飾る風習がある。一説にはかくれキリシタンであることをカムフラージュするための儀礼が風習となり今に続いているといわれている。「ふるさとの文化」の中にも、“神道ではおこなってはならない三位一体のしめ飾りという飾り付けは一年中はずしてはならないとされた”という、注連飾りを通年飾る風習に関する記述がある。
天草市河浦町﨑津の羊角湾北岸の入江に建つ「﨑津教会」は、1934(昭和9)年、フランス人宣教師・ハルブ神父の時代に再建された。教会を含む﨑津地区の漁村の景観と、今富地区の農村の景観は「天草市﨑津・今富の文化的景観」として、国の重要文化的景観に選定されている。
※1569(永禄12)年に﨑津を訪れたルイス・デ・アルメイダ修道士により、この地域でキリスト教の布教が行われた。その後1614(慶長19)年に禁教令が敷かれ、明治時代に解禁されるまで、信仰者たちは厳しい弾圧の中、密かに信仰を続けた。
今富地区の入口に位置する「今富神社」。神社前の今富川には清らかな水が流れ、初夏にはホタルが舞う姿が見られる。キリスト教解禁後、再びキリスト教の布教のためこの地を訪れた外国人宣教師によって伝えられたというクレソンも自生する。

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