国選択無形民俗文化財(記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財) 八代市坂本町木々子(きぎす)地区の七夕綱(たなばたづな)

赤、白、黄、青、緑。長い竹に5色の吹き流しをはためかせ、土手を練り歩く大行列。天草市河浦町一町田(いっちょうだ)地区の「一町田八幡宮」で行われる「虫追い祭り」は、晩稲の育成期に発生しがちな害虫を退散させ、五穀豊穣を祈るお祭りです。

Vol.21

五穀豊穣を祈る、虫追い祭り

天草市一町田八幡宮 虫追い祭りのお話
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[虫追い祭りとは]

【虫追い祭りとは】

天草市河浦町一町田地区にある一町田八幡宮(氏子数は約300人)の「虫追い祭り」は、毎年7月中旬の田んぼが青々と広がる頃に行われる祭り。氏子の各組、それぞれにつくられた長い竹に5色の吹き流しをはためかせ、土手を練り歩きます。害虫を追い払い、五穀豊穣を祈るお祭りとして受け継がれています。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとして、世界文化遺産に登録された「﨑津集落」から車で約15分。一町田地区の中心にある「一町田八幡宮(氏子数約300人)」では毎年夏になると、「虫追い祭り」が行われます。
 さかのぼること約400年前。この一帯に害虫が大発生し、稲をはじめとするすべての作物と野山の草木にいたるまで、すべてが壊滅的な被害を受けたことがありました。これを見かねたひとりの老婆は、集落の氏神様に赤い絹布を奉納し、幾日にもわたって害虫退散の祈願を行いました。祈願を終えた老婆が奉納した絹布をいただき、その布で田畑の害虫をはらったところ、害虫は一瞬で退散し、集落に平穏が戻りました。これが、一町田八幡宮の虫追い祭りの由来と伝えられています。
 赤い絹布はいつしか、5色の吹き流しに形を変え、「虫追い旗(むしおいばた)」と呼ばれるようになりました。根っこから引き抜いた約20mの真竹の枝葉を落とし、先端から20~25枚の絹布を結びつけると虫追い旗の完成です。明治時代には各家々から一枚ずつ、絹布を奉納していたそうで、なかには娘たちが恋慕う男性への想いを込めて織ったものもあったそう。言葉にならない想いを旗に込めるとは、なんともロマンティックな話です。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとして、世界文化遺産に登録された「﨑津集落」から約9kmのところにあります
【写真(左)】
木立の中に佇む「一町田八幡宮」。氏子数は約300人にのぼります
【写真(右)】
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとして、世界文化遺産に登録された「﨑津集落」から約9kmのところにあります

虫を起こして川へ葬る。
ふたつの神社からはじまるお祭り。

虫追い祭りの当日。「一町田八幡宮」の拝殿には約20人の氏子総代が集まっていました。宮司の田代隆一さんによって祈願祭が営まれた後、一行は同八幡宮から約3kmほど離れた山手の葛河内(つらごち)地区へと向かいます。「葛河内十五社宮(つづらがわちじゅうごしゃぐう)」の拝殿で「虫おこし祭り」を行うためです。
土中に潜む虫を起こすための祈祷が終わると、一行は田園へと繰り出しました。「トントトントントトン、カーン」。乾いた太鼓と鐘の音を響かせながら、植え付けを終えたばかりの田んぼの畦に御幣を立て、葛河内川の上流域から下流域へと向かいます。一町田川との合流地点に設えられた「川棚(かわだな)」にたどり着くと、再び神事が始まりました。「川祭り(かわまつり)」です。祝詞が進むにつれて、河原に厳かな空気が満ちていき、けたたましかったはずの蝉の声も遠くに感じられるほどです。「川祭りには、田んぼから追い立ててきた虫たちを川に葬る意味があるんですよ」と、倉田地区の氏子総代を務める下田仁さんが教えてくれました。

「葛河内十五社宮」には阿蘇十二神と天照大神や若宮神社、鈴木様が祀られています
音はまるで、虫たちを誘っているようにも聞こえます
【写真(左)】
音はまるで、虫たちを誘っているようにも聞こえます
【写真(右)】
苗を植え付けたばかりの田んぼに御幣を立て、五穀豊穣を祈ります

勇壮にはためく虫追い旗
文化交流や祖先送りという説も!?

虫追い祭りのクライマックスが、虫追い旗を掲げて練り歩く「立追(たておい)行事」です。戦前は氏子の各組が旗を奉納していたため、多い時で25本ほど並んだときもありましたが、現在は「子ども旗」を合わせて約20本になりました。 スタート地点となる河浦小学校には約100人の氏子に加え、町内外の人々が集まり、立追いの技を競い合っていました。竹の根元を手のひらにのせ、片手で持ち上げるのが流儀です。吹き流しをつけた虫追い旗は、総重量30~40kgにものぼるのですが、絹布が微風を受けてはためくと浮力が生まれて軽くなるのだそう。かつてはこれを行うことで集落の若者たちの士気をあげる意味もあったと聞きました。 小学校の裏手から一町田川の土手へ出た立追行列は、一町田橋までの約1kmを練り歩きます。“旗持ち名人”と呼ばれる人が、隣の集落の子どもたちに旗持ちのコツを教える場面も。地域全体で祭りを大切にしていることがうかがえる光景です。 終着地となる一町田橋のたもとには川棚が設えられていました。「川祭り」の祝詞が始まると氏子たちはもちろん、集まった見物客たちも静かに祈りを捧げていました。ダイナミックな旗の風景で注目される祭りの真髄は、地域にとって大切な農耕祭事であることをあらためて感じます。

旗持ちは地域の男の子たちにとって憧れの的。「子ども旗」を掲げる男の子に、旗持ち名人がレクチャーする場面も
【写真(左)】
5色の吹き流しがずらりと並び、青空にはためく様子は圧巻。
【写真(右)】
旗持ちは地域の男の子たちにとって憧れの的。「子ども旗」を掲げる男の子に、旗持ち名人がレクチャーする場面も
土手を練り歩く行列は天草の風物詩にもなっていて、県内外の写真愛好家も集います
土手を練り歩く行列は天草の風物詩にもなっていて、県内外の写真愛好家も集います
一町田橋のたもとで行われた川祭りの模様。すぐそばにある崇圓寺(そうえんじ)は、かつてこの一帯を治めた土豪 天草氏の居城跡でもあった場所です

猛暑にも台風にも負けず、すくすく育つ晩稲

史上類を見ない猛暑に加え、たくさんの台風が日本列島を通過する今年。台風後は稲や農作物に影響を及ぼす病害虫も多発しやすいとされ、米農家にとって気の抜けない日々がつづきます。葛河内地区の氏子総代として神事に参加していた松本和孝さんも、気をもむ農家のひとりです。8月下旬、松本さんの田んぼをのぞいてみました。虫追い祭りの日、根付き始めたばかりだった晩稲は腰丈ほどに背を伸ばし、御幣の先には幼い穂が揺れていました。近づいて目を凝らすと、小さな稲の花が咲き始めています。

「次から次へとやってくる台風に一時はどうなることかと思いましたが、神事のおかげで今年もようやく花が咲きました」と松本さん。このまま無事に育ってくれれば、あと1ヶ月ほどで辺り一帯が黄金色の稲穂に変わるはずです。

祭りから1ヶ月半が経った8月下旬。御幣を立てた田んぼでは、幼い稲が小さな白い花をつけ始めていました
祭りから1ヶ月半が経った8月下旬。御幣を立てた田んぼでは、幼い稲が小さな白い花をつけ始めていました
葛河内地区の氏子総代で米農家でもある松本正人さん
【写真(左)】
葛河内十五社宮の下に広がる田んぼ
【写真(右)】
葛河内地区の氏子総代で米農家でもある松本和孝さん