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尾崎 吉秀さん

頬にふれる風や、木々の彩り、街ゆく人たちの服装、そして家々から漂ってくる夕餉(ゆうげ)の香り。季節を感じる瞬間は、ほんの小さなコトやモノがきっかけかもしれませんが、私たちの日常の、あらゆるところに存在しています。時代の移り変わりとともに季節の感じ方は変化していますが、暮らしのなかには、この時期しか出会えない楽しみを存分に味わいたい、と求めることが多々あります。その最たるものが、四季折々の旬の食べ物。今回の「こよみのお話」でご紹介するのは、その時の旬のものを漬け込んで、封じ込めた旬の味わいを長く楽しむ、日本の風土と、日本人の知恵の結晶ともいえる漬け物です。過去に日本一の漬け物に輝いた実績をもつ、熊本県南部の小さな漬け物工房を訪ねました。

Vol.18

地域の宝と夢をいっしょに漬け込んだ日本一の漬け物

尾崎 吉秀さん インタビュー

PROFILE

尾崎 吉秀おざき よしひで

葦北郡芦北町田浦で手づくりの漬け物工房「すずめ」を立ち上げて30年。今年、82歳。地域で収穫された野菜を、手づくり味噌で長い時間をかけて漬け込む昔ながらの方法を用いながら、漬け物の可能性を模索。2013年に開催された第4回お漬け物日本一決定戦T-1(ティーワン)グランプリで、個人の部優勝を果たした。

家族でつなぐものづくり。それは、なにも特別なものではなく、日常の中に当たり前にあるものにも、家族の結びつきを強く感じるものがあります。たとえば、食卓に並ぶ家庭料理。遠く離れ、家族とともに食卓を囲むことが日常でなくなってはじめて、家族をつないでいる、かけがえのないものであることに気づきます。今回の特集でご紹介する、芦北町田浦の漬け物工房「すずめ」の尾崎さんの漬け物づくりのルーツは、小さい頃の家庭の味。体にしみついた家庭の味の記憶を、未来につないでいくことが、日本の食文化の素晴らしさを伝えることにつながっています。

どろくさいものが、自然のおいしさ。
母から学んだ“宝”の体験。

工房、というよりは、ちょっと古い一軒家。唯一の工房っぽさは「田浦町名店会の店」という小さな看板のみ。初めて尾崎さんの工房を訪れたとき、「ここで日本一のお漬け物ができているんだ!」と、ちょっとした驚きがありました。

葦北郡芦北町の田浦で、漬け物工房「すずめ」を営む尾崎吉秀さん。尾崎さんの食に対する考え方の原点になっているのが、母から受けた愛情だといいます。「うちは貧乏でしたので、野草でもなんでも、そこら辺にあるものをどうやったらおいしく食べられるのか、母親が工夫してくれていました。自分がひもじい思いをしても、子ども達にはおいしいものを食べさせたい。そんな愛情を受けたことで、食に対して工夫する術や、知恵を学ばせてもらったように感じます」と、尾崎さん。食べられる野草を選んで摘んで、それをどう調理したらおいしくなるのか。試行錯誤する母の姿と、自然のものの、ありのままのおいしさを体験したことが、現在の尾崎さんの漬け物づくりのルーツとなっています。「食というものは、本来はどろくさいもの。野菜も、人間も、土がなければ生きていけない。食の原点にあるのは、どろくさいところにあるんじゃないか」と、自然とともにあることが食の本来の姿であることを、尾崎さんは実感しているといいます。

車通りから入った路地にある小さな電照看板。これが無ければ、迷子になっていた! 近所の小学生の通学路になっているのか、夕暮れ時には近所の子どもたちが尾崎さんの工房前を歩く姿が見られた。
漬けもの工房「すずめ」の尾崎さんは、今年で82歳。漬け物のおかげなのか、手がつやつやして、とってもお元気。漬け物のことを語り出したら止まらない!

そんな尾崎さんが、漬け物づくりを始めたのが、今から30年前のこと。ある方からいただいた漬け物の味に感動を覚えたことがきっかけ。「ちょうどその頃、スーパーを経営していて、毎日のように出る残りものの野菜をどうしようかと悩んでいました。そこに、おいしい漬け物との出会いですよ。すぐに自分でやってみようと動きはじめました」。とはいえ、すぐに理想の漬け物ができるわけではありません。漬けては失敗し、漬けては納得できず、の繰り返し。試行錯誤を繰り返すなか、たどり着いたひとつの答えは「味噌の働き」でした。

みんな、味噌から教わった。
味噌を育てることが、漬け物のうまさに。

尾崎さんの漬け物がおいしいヒミツは? と尋ねると「味噌の働き」という答えがすぐに返ってきます。「味噌というものは、発酵が進んではじめて、味噌本来の働きができることを、漬け物を通して知りました。私が使っている味噌は、無添加で、毎日ゆっくりと発酵を繰り返しています。味噌が発酵して、熟成していく段階で、漬け物の味が深く、おいしくなっていくのです」。

2013年に漬け物の日本一を決める「T-1グランプリ」で全国1位を獲得した生姜のべっこう漬。このべっこう漬ができたのも、味噌の発酵の力によるものだったといいます。「漬けていた生姜が、正直、うまくなかった。うまくなかったから、しばらく放っておいた。しばらく漬けたままにしていたのです。ふと思い出して味見したら、これが別物のようにうまかった! 味噌が熟成することで、味噌の働きが発揮できた」ということです。こうやって誕生した生姜のべっこう漬は、生姜の香りを残しつつも、独特の繊維質を感じない、やわらかなのに、シャキシャキという歯ごたえもある、絶妙な漬け物に仕上がっています。

「すずめ」の看板商品である、生姜のべっこう漬。生姜の形そのまま味噌に漬け込んで、ゆっくり時間をかけて熟成させる。長いもので、2年くらい漬けているものもある。やわらかく、香りが良く、そして味噌まで残らずいただける。

味噌の可能性に着目した尾崎さんは、漬けものを漬ける味噌そのものをオリジナルでつくりたいと考え、水俣市にある味噌と糀(こうじ)の専門店「緒方こうじ屋」を訪ねました。明治時代から続く糀屋「緒方こうじ屋」は、お客様が持ち込む大豆や米などの原材料をもとに、味噌を仕込んで販売しています。自分のところで収穫した原材料で味噌ができることから注文する農家さんが多く、注文は半年待ちの状態。原料を見極め、その特徴を活かした味噌や糀づくりを行っている緒方信秀さんの話は、「もっこすであることは、ものづくりに必要だ」と、尾崎さんの漬け物づくりへの情熱に、さらに火を付けました。

木製のモロブタで仕込まれているのは、米糀(写真右)と麦麹(左)。ふわっふわの綿のようなものが糀だ。「つくった糀や味噌は、わが子のようなもの」と語る緒方さんは、繁忙期は朝1時(!)から室に入って作業をするという。

無駄なものは、何もない。
活かすことが、本来の食の姿。

「漬け物売りのトラさん」。一時期、尾崎さんのことをこう呼ぶ人が多くいました。できあがった自慢の漬け物を、もっとたくさんの人に味わってほしい。尾崎さんは、軽トラに漬け物を積めるだけ積んで、道に迷ったフリをして、話しかけた人たちに漬け物を味見してもらったといいます。今日はどこ、明日はどこ、と場所を変え、漬け物をアピールしました。「一度食べてもらえれば、おいしさをわかってもらえると、自信がありました。そこで出会った人たちは、今でも私の漬け物のファンでいてくれています」。

漬け物を漬け続けて30年。今では、商品のラインナップも増えている。地元の酒蔵「亀萬酒造」の酒粕を使った酒粕漬けなど、芦北町でしか手に入らない商品もある。

漬け物は、地域にある旬の野菜でつくる、日本の発酵食文化の象徴ともいえる食べ物。それは、日本の豊かさを伝えるもの。「とにかく、無駄がない。漬けものを漬けた味噌は、何度か漬けて、使い切ったところで、畑の肥料にできる。漬ける野菜は、工夫さえすれば、捨てるところなく、すべて漬けものにできる。あるものを“活かす”ことこそが、日本の食文化の素晴らしいところ」。そして、そこに夢と遊び心をプラスするのが尾崎さん流。「これを漬けものにしたら、どうだろう」と、尾崎さんの漬けもの探訪の旅には終わりがない。その好奇心と探求心、チャレンジ精神こそが、尾崎さんの食に対する原動力のようです。

現在チャレンジしているのが、庭先で栽培している「肥後ツワ」の漬け物。このツワには、使い終わった味噌を肥料として与えている。生育の良さが、明らかに違うとか。

食のご恩は、食で返す。
未来に伝えていく食の楽しさ。

「食は、健康につながるもの。これ以上の、楽しく取り組めるものはない」と語る尾崎さん。食の大切さを広く伝えていくことが、これからの自分の役割と考えている尾崎さんにとって、うれしい出来事が二つあったといいます。一つ目は、尾崎さんの漬け物が東京の指折りの百貨店のバイヤーの目に留まり、評価を受けたこと。「バイヤーさんが私の漬けものを食べ、さらに残っていた味噌まできれいに平らげたのを見た時、これまでのことがすべて報われたような気がしました」。そして、もう一つは、地元の高校に招かれ、高校生の前で漬け物や、食について話す機会を得たことでした。実演でこだわりのお味噌汁をふるまったところ、おかわりする生徒が続出したとか。「ものづくりの楽しさ、食の大切さを、これからの子ども達に伝えていくことは、人生の恩返しとして取り組んでいきたいこと。体を使って、どんどん子ども達に伝えていきたい」と、尾崎さん自身、ワクワクしている様子です。

■すずめ
〒869-5302 熊本県葦北郡芦北町田浦862
tel.0966-87-0052
URL:http://suzume0052.jimdo.com/
■緒方こうじ屋
〒867-0064 熊本県水俣市幸町5-12
tel.0966-63-2219
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