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#049

「人にも環境にも優しい」をモットーに 植物の持つ美や力を精一杯引き出す

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03/19

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穏やかな八代海を見下ろす丘陵の一画に、手漉(てす)き和紙と草木染め手織り布の工房を構える金刺(かなざし)潤平さん(62)と宏子さん(62)。薬品に頼らない昔ながらの手法で、それぞれ40年近く作品を作り続けている。モットーは「人にも環境にも優しい仕事」。植物が持つ美しさや力を引き出す仕事ぶりを拝見した。


1984(昭和59)年春、水俣市袋に手漉き和紙と織物の工房を構えた5人がいた。工房の名は浮浪雲。主宰したのは当時25歳の金刺潤平さん。5人のうち3人は胎児性水俣病患者の仲間たちだった。

石牟礼道子さんから薦められた和紙作り

金刺潤平さんは大学在学中から、自然を破壊し利潤追求を優先する社会に疑問を感じていた。卒業と同時に若者のボランティア活動を支援する公益法人日本青年奉仕協会の門をたたき、1年間の期限付きで派遣されたのが水俣だった。
水俣での活動は生活学校の手伝いから始まった。学校は自給自足型のフリースクール。宿舎兼校舎を拠点に、胎児性患者の人たちと交流しながら共同生活を送った。
1年が過ぎようとしたころ、ある患者から「いろいろな人たちが水俣を訪れ、さまざまな質問をし、私はそれに一生懸命に答えた。でも彼らは水俣を去って行った。あなたはどうするの?」と言われ、返す言葉がなくなった。本当に彼らの役に立つには、彼らの心のよりどころとなる仕事を見つけなければいけない。そう気づいた金刺さんは、木工や焼き物などを学校に取り入れようと工芸家を訪ねて回った。しかし、色よい返事はもらえなかった。
そのような状況で金刺さんは、尊敬する石牟礼道子さん*に相談した。石牟礼さんからは、水俣病患者の仲間たちとともにできる仕事として和紙作りを薦められた。しかし、金刺さんには経験も道具もなかったため、八代市・宮地手すき和紙の宮田寛さんらに手ほどきを受けた。そして、試行錯誤の末スタートしたのが、浮浪雲工房だった。

*石牟礼道子:作家・詩人。1968年、仲間とともに水俣病患者を支援する水俣病対策市民会議を立ち上げた。1969年には、「苦海浄土 わが水俣病」を発表し、1973年マグサイサイ賞を受賞。

現在の工房は当時の生活学校の建物を使用している

「捨てられた素材に魂を吹き込め」―方向性を決定づけた水上勉さんの言葉

仲間たちと工房を始めて2年後、直木賞作家の水上勉さん*が訪ねて来た。水上さんは次女に障がいがあったため福祉に関心を寄せていた。帰り際、金刺さんはお土産に雁皮(がんぴ)を用いた和紙を渡した。雁皮は古くから使われてきた和紙の原料である。
水上さんはほめてくれた。一方で「いい素材を使えば、いい物ができるのは当たり前。足元に捨てられている素材に魂を吹き込め」と叱咤激励され、衝撃を受ける。この言葉を機に、さまざまな素材を使った和紙づくりにチャレンジしていった。
そんな折、紙すきの先輩から「伝統技術には裏付けがいる。勉強しろ」と紹介されたのが高知県紙業試験場(現高知県紙産業技術センター)の研究員・大川昭典さんだった。高知では和紙作りの理想と実践を学び、天然繊維の可能性と美しさに魅せられた。

*水上勉:作家。『雁の寺』で直木賞受賞、水俣病を題材にした『海の牙』で日本探偵作家クラブ賞受賞。社会派推理小説といわれる『飢餓海峡』をはじめ、映像化された作品も多い。

竹簀(たけす)を張った漉桁(すきげた)と呼ばれる道具を使い、丁寧に紙を漉いていく

共同作業で学んだ自然の力

一方で、胎児性患者の仲間たちとともに作業をする日々は、金刺さんに「人にも環境にも優しい」視点を与えてくれた。水俣病患者は指先の感覚や臭覚に障がいがあり、彼らの周りに薬品類などの危険物を置くことはできなかった。燃料には薪(まき)、原料の煮熟(しゃじゅく)*には草木灰、石灰、ソーダなどの弱いアルカリ性物質を使用。漂白剤は使わず、板干しにして紫外線を当てて漂白するなど、彼らに優しい仕事は自然や環境にも優しいと気付かされた。こうして自然の力を最大限利用することの大切さと仕事の術(すべ)を身に付け、自然と向き合う姿勢が形づくられていった。
しかしともに働いてきた患者の1人が亡くなり、ほかの仲間たちもさまざまな事情で工房を後にした。

*煮熟=煮詰めること

煮熟をする際に使用するかまどと薪

和紙作りを通じて国内外で活動

シックハウス症候群が叫ばれ、世の中が自然素材に注目し始めたころ、金刺さんはさまざまな原料から紙を作り出す〝開発〟に携わっていく。和紙の原料として一般的なのはコウゾや雁皮、ミツマタだが、竹や杉皮など不向きな素材も使った。 特に力を入れたのがイグサ。生産量の半分が規格外として処分されることを知り、素材の利点を生かそうと研究を重ね、高い吸湿性を持つ芯(しん)を混ぜた高機能和紙から作る壁紙素材を開発した。壁紙は2006年度(平成18年度)の第2回「ものづくり日本大賞」で優秀賞を受賞した。
活動は海外にも及んだ。和紙の技術を用いてインドネシア、ドイツ、マレーシアなどでワークショップを開催。なかでも国際協力機構(JICA)の技術専門家として派遣されたブラジル・アマゾンへの思いは強く、草の根の技術協力を長年続けた。

      

さまざまな素材に向き合い、長年和紙作りを続けてきた金刺さんの手

植物繊維のジュエリー

金刺潤平さんを支え続けた宏子さんも大学卒業後、水俣生活学校で胎児性患者らと共同生活を送った。ある時、機織りに出会って興味を持ち、和綿の種をもらって自然栽培を始めた。以来、収穫した和綿で糸を紡ぎ、草木染めを施し、織って布を作るという一連の作業を続けてきた。
作業は昔からの手法で、農薬や化学薬品などは一切使用しない。無農薬で作る〝水俣綿〟から紡ぎ出されるショールやストールなどの製品に加え、金刺さんの和紙を糸にした紙布から、コースターや間仕切りなども生み出した。
昨春からは、植物の繊維でイヤリングやピアスなどのアクセサリーを作る仕事が加わった。手掛けるのは森紗都子さん(30)。素材の魅力に刺激を受け、工房に住み込んで仕事を手伝いながら制作に情熱を傾けている。

無農薬で作った水俣綿(左)。草木染めしたコウゾは水に浸して乾燥を防ぐ(右)

「伝統的な工芸技術とエコロジーには相通じる部分が多い。工芸は自然環境と共生しながら暮らしてきた日本人の知恵だからです。物は時代とともに変わりますが、ものづくりに対する技術や哲学は変わらない」と金刺潤平さん。「これからはニーズに応じた商品をどう作り上げていくか、和紙をどう生かすかが問われます」と将来を見据える。
いろいろな人や言葉、素材に出会い、さまざまな紙を生み出してきた金刺さん。宏子さんの草木染め手織り布と若い力が相まって、浮浪雲工房は新たな展開を見せ始めている。

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