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#047

熊本地震に耐えた登り窯と、自家栽培作物の釉薬(ゆうやく)で作陶

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12/09

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【二十四節気】
大雪
【七十二候】
閉塞成冬

阿蘇五岳を間近に、田園風景が続く南阿蘇村長陽地域。
ここで作家活動をしているの髙島李恵さんは、土から作物を作る農業と、土と炎でつくる創作と、二足の草鞋を履きつつ、新たな釉薬の世界を模索している。

阿蘇カルデラの田園風景にある登り窯

髙島李恵さん(39)が南阿蘇に開いている窯元「陽窯」は、南阿蘇鉄道長陽駅から2分ほどの所にある。
線路に沿って歩く道からは、南外輪山の山々を眺められ、俵山(たわらやま)峠から護王(ごおう)峠のすそ野に広がる田んぼの風景が延々と続き、吹きおろしの山風が心地よい。
南阿蘇鉄道は2016年4月の熊本地震で被災。地震から5年経った今、影響がなかった終点の高森駅から中松駅までの東側路線は一部動いているものの、西側は、立野火口瀬に近い白川に架かる白川第一橋梁の工事がようやく始まったところ。
完成する1年半後まで線路はさびたままで、長陽駅も再開を待っている。
髙島さんに地震当時の話を聞くと、窯がある喜多地区は被害が大きかった南阿蘇の中にあって、唯一被災が少なかった地域という。家も窯元の登り窯も被災から免れた。

農業と陶芸を掛け持ち

髙島さんは、小学4年生のとき福岡から移り住んだ。母親が無農薬農業をするため、研修施設があった旧長陽村に住み始め、それから約30年の月日が経った。
現在は、新規就農で農業を始めた横浜出身のご主人と小学校1年生になる息子と3人で南阿蘇村両併に居住。農業と陶芸という、互いが必要とする場面で助け合いながら生活し、作家活動をするときは窯がある実家に通っている。
田畑約1ヘクタールを耕し、多品目の農産物を無農薬栽培で作っている。
「ほったらかしで作るので、草取りが大変!」とほほ笑む。「この春から息子が小学校に通うようになり、粘土と向かい合う時間ができた」と、しばらく休んでいた作品作りを再開している。


小学校の体験が原点に

作陶をしたいと思ったきっかけをふり返ってもらった。
県立大津高校の美術コースから、佐賀県立有田窯業大学校に進路を決めたが、「陶芸とのそもそもの出会いは転校してきた小学校の時にある」という。
台風で倒れた校庭の木を焼却処分する時、粘土をこねて作った土器やお面を火の中に入れた。「柔らかい粘土が、焼いたら固まって石のようになった」ことへの驚き。「火で土を焼くという単純な作業だが、藁や弾ける米粒の鮮やかな記憶が、陶芸家への道筋になった。今、子育てをしながら、幼少の頃の体験がいかに大事であるかを実感している」と話す。


植物の「ちから」に興味

有田の窯業大学校では、ガス窯で磁器を焼く体験をしたことで、逆に、「より柔らかいもの」へ憧れ、朝鮮半島の磁器の歴史や文化に興味をもった。学校では穴釜作りの係になり、陶器への関心も進んだ。
特に灰釉のおもしろさは、藁灰から始まり、イネ科とマメ科の違いで発色が変わったりすることの「不思議」と、植物がもっている「ちから」に興味がわいた。  
卒業後の修行先を決めなければならなかった。
弟子入りとしてまず、京都の竹中浩(こう)先生の門をたたいた。竹中先生は日本を代表する白磁作家の一人で、朝鮮風の作風に染付、銹絵(さびえ)、色絵などで格調高い造形美を有する作家として有名だった。
連日、山野に出かけ、植物のスケッチに明け暮れたという。先生の「文様から文様をつくらず」の思想は、スケッチから文様をおこすことを髙島さんに求めた。「作家が現場から発する様々な感覚を五感で感じたことは大きかった」。修行期間は短かったが、これから陶芸家として歩むきっかけをもらった時間だった。

帰郷後、21歳で築窯

帰郷してからは母親の農業を手伝った。そんな時、母親の知人が経営する、東京で有名なそばの店が南阿蘇にオープンすることになり、記念品の豆皿の注文が舞い込んだ。お客さんが求める品物の感覚は、「灰かぶりのムラのある柔らかい質感で、私が求める作風と合致した」。この経験がきっかけとなり南阿蘇で作家活動を続ける決意をし、陶器作家として歩み始めた。
21歳で築窯。登り窯は、有田の学生時代の縁で知りあった築炉師さんが造ってくれた。登り窯の費用返済や生活の支えとして、地域にある温泉施設や牧場で働きながら、作陶にも励む10年だった。そんな中、機関紙「ジャパンズビーガンつぶつぶ」を発行する一般社団法人からの依頼で、ゴマやひえ、粟などの雑穀を使った釉薬での陶器注文が定期的に発生。新しいデザインと釉薬の試作が、作家活動を後押ししてくれている。


地元のご縁に支えられ

陽窯(やうやう)という窯元名は旧長陽村時代の「陽」から取ったが、山際の陽がだんだん白くなっていく空のイメージもある。「なんでも急いでできるものではない。もの事を短くすることはできない」という思いからつけた窯元の名前だ。また、同じ南阿蘇の華道草心流家元の板垣草心先生(故人)からは、いけ花の指導を受け、厳しい自然の中に生きる野の草花の姿を「ありのまま」に見つめる、という考えに大きな影響を受けてきたという。
「人とのつながりの中で今の自分があります。窯の前に山積みしたアカマツの幹は、アルバイトしていた温泉施設でのご縁からいただいているものです」。その窯は地震にも耐え、19年目を迎えた。「子育てに手がかからなくなった今、ゆっくり、コツコツと丁寧に作陶を続けたい」。コロナが落ちつけば、窯開きや個展を開催するつもりだ。


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