#008

伝統の技とアイデアが織りなす、新たな「和紙」のかたち

夏の暮らしに涼を添える山鹿の「来民うちわ」「和傘」と、八代の「宮地手漉き和紙」にまつわる2つの 物語。

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「うちわ」の語源と、「来民うちわ」の歴史

日本の夏の風物詩の一つ「団扇(うちわ)」。
その語源は「打つ翳(は)」にあり、古代では支配者や貴人が“翳(かざ)す”ことで、威厳や権力を誇示する道具として使われたり、ハエや蚊などを「打ち払う」という語が「うちわ」に変化したという説があります。
日本でも奈良県・高松塚古墳には、7世紀末とみられる壁画の中に、王をうちわで仰ぐ侍女の姿が残っています。その後、室町時代から戦国時代にかけて、竹の骨に紙を張るという現在のうちわの原型が生まれました。やがて江戸時代になると庶民に普及し、炊事や祭りの道具として使われるようになったのです。
山鹿市鹿本町来民に、県の伝統工芸品に指定されている「来民(くたみ)の渋(しぶ)うちわ」があります。その歴史は1600(慶長5)年頃、四国の丸亀からこの地を訪れた旅の僧により伝授されたことに始まるといわれます。細川初代熊本藩主・忠利の奨励により産地として発展し、1792(寛政4)年に肥後を旅した思想家の日記には、「この地域に500軒ほどの町屋で、渋うちわがつくられている」という記述が残され、当時の繁栄を物語っています。
この地でうちわづくりが栄えた背景として、阿蘇の外輪山には真竹が豊富に育ち、菊池川流域には和紙の原料となる「楮(コウゾ・カジ)」が多く生育していたことが挙げられます。

【写真(左)】
山鹿市鹿本町来民の「栗川商店」に残る、朝顔と蛙(かえる)の版木。
【写真(右)】
昭和4年につくられたうちわ。竹が描かれ、漢文で「高節欲凌雲(こうせつ、くもをしのがんとほっす)」と書かれている。(作/吉嗣鼓山という福岡の水墨画家)※非売品

「来民うちわ」の伝統+オリジナリティ+アイデア=
新たなブランド

江戸時代以来の技法で、渋うちわづくりを行っている「栗川商店」(山鹿市鹿本町来民)は、1889(明治22)年に創業し、現在は4代目の栗川亮一さん(54)がのれんを守っています。
来民うちわは、細く割った竹を組んで骨をつくり、そこに和紙を張り、型を切り整え、縁取りをし、仕上げに柿渋を塗るまで、およそ30もの工程を経て完成します。最後に柿渋を塗ることで、独特の色合いが生まれ、破れにくくなり、防虫の役割も果たします。「来民の渋うちわは100年持つ一生もの。ほら、これは私が生まれた年のものですが、綺麗でしょう?」と、栗川さんは渋うちわをバンバンとはたいて誇らしげに見せてくれました。
「制作のピークの時期は茶摘みの頃に始まり、9月の藤崎宮秋季例大祭が終わる頃まで続きます」と栗川さん。ピークの真っ只中の8月上旬には、スタッフ総出で山鹿市三玉(みだま)に出かけ、柿渋の原料となるガラ柿(小粒の柿)の青い実を収穫し、柿渋を仕込みます。柿渋は3年以上発酵させ、ようやく使えるようになります。来民渋うちわの特徴は、染料を混ぜない純粋な柿渋「白渋」を引く(塗る)こと。そのことにより、年を重ねて使い込むにつれて、何ともいえない上品で深みのある独特の風合いが生まれるのです。
かつて、昭和の初めの最盛期には、栗川商店で年間350万本ほど来民の渋うちわを制作したといいます。しかし、1965(昭和40)年頃から安価なプラスチック製のうちわが出回るようになると、急激に需要が減少しました。
先代の正一さんから店を引き継いで4代目となった栗川さんは、県内の書家やデザイナー、イラストレーターによる渋うちわの書画展を開催したり、外国でお客さんの名前を漢字でうちわに描くデモンストレーションを行うなど、数々の斬新なイベントで話題をつくり、新たなファン層を開拓。また、美しい畳紙(たとうし)に入れた来民うちわを、誕生祝い、結婚祝い、引き出物など“世界で一つだけのオリジナルの記念品”として贈ることを提案し、人気商品に育てることに成功しました。八千代座で行われた坂東玉三郎や市川海老蔵の公演をきっかけに商品化した、歌舞伎役者さんの定紋入りの渋うちわは、現在、東京・歌舞伎座の売店やサイトでも扱われています。このように、来民渋うちわに新しい付加価値をつけ、物語を創ることで、魅力的な商品を開発しているのです。
「商品を、お客様が望むこと、喜んでくださること、必要とされることに育てていくことが大切」と語る栗川さん。あるイベントの後に、会場付近に多くのプラスチック製のうちわが捨てられ、雨に濡れてボロボロになっていた様子を目にして心が痛んだ栗川さん。「その光景を見たことで、“たとえ水に浸けても破れないような渋うちわを開発する”という、新たな目標が生まれました」と目を輝かせます。

■「栗川商店」
熊本県山鹿市鹿本町来民1648
TEL:0968-46-2051
URL http://www.uchiwa.jp/

50年ぶりに復活した「山鹿傘ブランド」

来民渋うちわと同様に、竹と和紙と柿渋を使ってつくられる工芸品「山鹿傘」は、需要の減少とともにつくり手がいなくなり、ここ50年ほど生産が途絶えていました。
栗川さんは、大分県日田市でカフェを営みながら木工をしていた吉田崇さんとの出会いによって、その復活に着手することを決意しました。大分や鳥取など西日本各地、岐阜、金沢など和傘の産地の職人の下で技術を学び、平成21年から現在の山鹿市小坂に自宅兼作業場を構えた吉田さんの和傘ブランド「傘屋 崇山 kasayasouzan」を支援し、栗川商店でも吉田さんのブランドを扱っています。
吉田さんが和傘の全行程をひとりでつくり、その絵付けを妻の聡子さんが担当。その確かな手しごとと、美しい色合いと洒落たデザインが特徴の山鹿傘は、雨傘はもちろんのこと、夏の日差しに映える日傘、舞踊傘も人気です。

【写真(左上)】
「傘屋 崇山 kasayasouzan」の和傘。全て手作業でつくるため、1ヶ月に仕上げられるのは10本ほど。雨傘だけでなく日傘や舞踊傘もある。日傘は和紙を二重張りにして仕上げるのが特徴。
【写真(右上)】
日傘の内側は色鮮やかな木綿糸が組まれている。ふと見上げた時や閉じるたびに贅沢な気分が味わえそうだ。
【写真(下)】
昨年、国の伝統工芸品に指定された「山鹿灯籠」。室町時代から山鹿市に伝わる山鹿灯籠には、山鹿灯籠まつり 千人灯籠踊り」(毎年8月16日に開催。祭りは8月15日・16日の2日間にわたって開催される)で、踊り手が頭にかかげて踊る金灯籠や、神殿造り、座敷造り、城造りなど様々な様式のものがつくられてきた。木や金具を使わず、和紙と少量の糊だけでつくるなど、いくつかの決まり事がある。(※写真は「山鹿市役所」様よりお借りしました)
■「傘屋 崇山 kasayasouzan」
熊本県山鹿市小坂2525
TEL/FAX:0968-44-5282
URL http://www.kasayasouzan.com

「宮地の手漉き和紙」の歴史と今

八代市宮地地区の「宮地手漉き和紙(みやじてすきわし)」は、来民渋うちわの始まりと同じ時期の1600(慶長5)年、加藤清正から招かれた柳川藩の紙職人・矢壁新左衛門(やかべしんざえもん)によって、この地に興(おこ)りました。宮地が選ばれた理由の一つとして、地域を流れる中宮川の清らかな水質があったのです。その後、細川6代熊本藩主・細川重賢の産業奨励によって需要が増加し、大高檀紙(おおたかだんし/大型の和紙)、水玉紙(みずたまし/高い位置から水滴を落とす技法で水玉の文様をつけた和紙)などは、幕府や宮家にも献上されました。
最盛期にはこの地に13名ほどいたという「宮地手漉き和紙」の職人も、現在は八代神社(妙見宮)のすぐ近くに工房と自宅を構える宮田寛さん(80)ただ一人になりました。
終戦後の混乱期、中学を卒業すると同時に、父・仙次郎さんの後を継ぎ、手漉き和紙職人になった宮田さん。需要が減少した現在は、12月~2月の冬の時期のみ作業を行っています。
宮地手漉き和紙の制作には手間と時間がかかります。クワ科の楮(コウゾ・カジ)を一晩水に浸け、煮て、水気を切り、晒(さら)し粉を使って漂白し、すすぎ、原料を細かくほぐし、あらかじめ水に浸けておいたノリ(トロロアオイ)を加えるまでに約6日。そしていよいよ紙を漉く作業に入ります。漉いた紙は圧力をかけて水分を抜いて半日程度置き、乾燥させ、裁断します。気温が高いとトロロアオイの成分が働きにくくなるため、寒い時期に手早く作業を行うことが、品質の良い和紙をつくることの条件だといいます。
一男二女に恵まれた宮田さんですが、「作業は、寒い時期に朝早くから夕方まで立ちっぱなし。そんな私の姿を見て育ったからでしょうか」。宮田さんの3人の子供たちは全く違う道に進みました。
現在、残念ながら宮田さんが手掛けてきた「宮地の手漉き和紙」の後継者はいません。

【写真(左)】
八代市宮地で「宮地手漉き和紙」を手掛ける宮田さん。その功績がたたえられ、平成25年2月、熊本県「くまもと県民文化賞 地域文化活動部門」で表彰された。宮田さんの後ろに飾られているのは、「八代絵だよりの会」代表の岸部孝子さんが、宮田さんの手漉き和紙に感動し、和紙に作業風景と文章を綴った作品。
【写真(右)】
宮田さんがつくる「宮地手漉き和紙」は、熊本県伝統工芸館1Fの「工芸ショップ匠(たくみ)」で購入できる。
■「熊本県伝統工芸館」
熊本市中央区千葉城町3-35
TEL:096‐324‐4930
URL http://kumamoto-kougeikan.jp/

「宮地手漉き和紙」を身近な作品にデザイン

宮地手漉き和紙は、障子紙といった日用品などに使われる他、地元・八代ではビジネスマンの名刺、中学校の卒業証書、そして書家や絵画作家の作品などとして愛用されています。
八代市日奈久下西町で、宮田さんの宮地手漉き和紙を使った作品を制作している「手描き友禅 はるかぜ工房」の吉田春香さん(27)を訪ねました。伝統工芸を好む両親の影響を受け、幼い頃から日本の伝統・文化に興味を持ったという吉田さん。デザイン専門学校でグラフィックデザインを学んだ後、手描き友禅を学び、「日本和装コンサルタント協会 手描き友禅講師資格・型友禅講師資格」を取得。友禅に使用する染料を用いて、宮地手漉き和紙にイラストや文様を施し、御祝儀袋、ブックカバー、ハガキ、しおりなどを制作しています。
「宮地手漉き和紙を使った作品をつくり始めたのは2年前。宮田さんの丁寧なお仕事ならではの紙の丈夫さと、人の手で作られている温もりに魅力を感じています。日本の伝統工芸品は敷居が高く、身近に感じられないという人も多いようです。生活の中で使いながら、伝統の良さを身近に感じることができるような作品をつくりたいと思っています」と吉田さん。宮地手漉き和紙を使った作品のほか、古布を使った小物、手描き友禅のTシャツやタペストリーなどを手掛けています。

熊本の歴史が育んだ伝統の技と、新しい感性の出会い。それらの融合によって生まれる、今後の工芸の新しい価値や可能性に期待したいものです。

【写真(左上)】
「手描き友禅 はるかぜ工房」(熊本県八代市)の吉田春香さん。現在、子育てをしながら作品づくりに取り組んでいる。
【写真(左下)】
友禅に使用する染料を用い、宮地手漉き和紙にイラストや文様を描いた御祝儀袋。「手づくりの手漉き和紙には独特の温もりがあり、お祝い事などにふさわしいと思います」と吉田さん。
【写真(右上)】
渋紙に図案の型を彫り(切り)、染料で色付けを行っていく。
【写真(右下)】
宮地手漉き和紙にイラストを描き、これからブックカバーに仕立てていく。
■手描き友禅 はるかぜ工房
URL http://harukaze-koubou.petit.cc