夏は涼しく、冬は暖かく、室内を快適に保つ障子。季節の挨拶や、お礼などに文を添える習慣。日本の暮らしと密接な関わりをもっている和紙。日本に製紙技術が伝えられたのは、610(推古18)年の高句麗の僧によってといわれています。今でこそ工業生産のものと一線を画し、希少価値が高く、少々高価な存在となりましたが、古来から日本の暮らしに欠かせない日用のものとしてその製造技術が継承されてきました。八代市宮地地区に受け継がれている宮地の手漉き和紙は、越前紙の流れを汲むもので400年以上前にこの地に伝わりました。今回は、紙漉きの里、八代市宮地地区を巡りながら、宮地手漉き和紙の魅力をご紹介します。
400年の伝統を、次世代につなぐ
400年の伝統技術を今日まで継承し、
守り抜いてきた職人、宮田寛さん。
「和紙を漉くには、水が命」。八代市宮地地区で、70年近く手漉き和紙を生業としていた宮田寛さんはそう言います。その言葉どおり、宮田さんの職屋だった場所には、ちょろちょろと音をたてながら流れる水路があります。紙漉きに最も適した季節は冬。宮地地区では生活用水にも使われている水路から紙漉きの水を汲むため、近所の人たちが活動をはじめる前の早朝から作業を行っていたといいます。「紙漉きは微妙な加減があって、氷が張るくらいの冷たか水がよか」と語る宮田さん。ものづくりにおいて、季節というものが大きく関わっていることがわかります。氷が張るほどの冷たい水で原料であるコウゾ(カジとも言う)を洗い、漂白し、繊維をほぐすなどの作業を重ねるため、手の皮は常にガチガチ。紙漉きの最盛期は、指を伸ばすと、パキッとシワから割れ、手の皮が剥がれていたといいます。また、紙を漉く作業は中腰になるため、腰に大きな負担がかかります。「一日中立って作業して、同じように紙を漉くのが難しくなった」と、宮田さんは昨年2017年に紙漉きを引退されました。宮地手漉き和紙を生業として、16歳から83歳になるまで70年近く、その技術を継承し、守り抜いてきた職人がその手を止めたことが残念でしょうがありませんが、宮田さんご自身も「紙漉きには、未練はある」と語ります。


戦後すぐの頃は、宮地地区に12、3軒の紙漉きの職屋が並んでいたと宮田さんはいいます。装飾紙から、障子紙、ちり紙などの日用紙まで幅広くつくり、その頃は熊本の遊郭が売上の半分以上を占めていたそうです。桜が咲く頃に問屋が紙を買い占め、「年によって良い時もあれば、悪い時もある。博打みたいなもの」と宮田さんが振り返るように、障子紙の値段が年によって変動していたといいます。生活様式の変化とともに、障子紙などの和紙の需要が激減し、宮地地区の紙漉き職人が次々に廃業し、宮田さんが唯一の宮地手漉き和紙の伝承者となりました。「紙漉きの他は、みかんをつくって、ドカタして、大きなケガもして。紙を続けるためにいろいろした」という宮田さんも、20年ほど前に一度紙漉きをやめようとしたことがありましたが、八女にある紙漉き工房からコウゾやトロロアオイなどの材料を提供されるなど助けられ、「ここまで続けてこれた」といいます。平成29年度に地域文化功労者として文化庁から表彰された宮田さんは、「もらったことよりも、みんなが集まって祝ってくれたことが嬉しかった」と伝統工芸品を継承してきた気負いはないようですが、そこには、70年近く、家族を腕一本で養ってきた誇りが垣間見えました。



御用紙漉きとして、地域ぐるみで紙漉きの
技術を確立してきたものづくりの里。
宮地手漉き和紙は、コウゾとトロロアオイを原料に、流し漉きという技法で漉く古来からの技法でつくられます。その歴史を紐解くと、約400年前の慶長5(1600)年、柳川藩の御用紙漉きであった矢賀部(矢壁)新左衛門が、加藤清正の申し付けによって八代の宮地地区で紙漉きをはじめたのがはじまり。地域には中宮川(水無川)という美しい川が流れ、そこから水路で水をひき、水路沿いに職屋が並んでいたといいます。現在の宮地の町を歩くと、美しい水路の風景がいたるところに残っており、紙漉きという地域の産業が、町の風情や、町並みをつくりだしていることが伺えます。通りを歩くと、ところどころに紙の原料であるコウゾを叩いていた平たい大きな石が残っていたり、水路沿いに設けられた洗い場など、古のまちの情景を伝えるものに出会えます。それは、地域の中心産業であった紙漉きが、400年の時を経てつくりだしてきた、唯一無二の情景といっても過言ではありません。


宮地手漉き和紙という伝統工芸の伝統や技とともに、手漉きの町の風情も一緒に次世代につなげていくために活動している団体があります。「八代宮地紙漉きの里を次世代につなぐ研究会」は、宮地地区の町歩きや、宮田さんの職屋見学、宮地和紙を使ったものづくりのワークショップなどを通じ、宮地和紙とものづくりの里である地域の魅力を発信しています。2017年12月から翌2月の間の土曜日と日曜日には、宮田さんの職屋を開放し、宮田さんが「道具は職人にとって大事なもの。使われなくても家宝としてとっておく」と大切にしている道具を展示し、宮地和紙の販売が行われました。宮田さんが紙漉きをやめた今、手に入れられる宮地和紙は少なくなっていますが、今後も研究会の活動は続けていく予定だそうです。



- ■八代宮地紙漉きの里を次世代につなぐ研究会
- 熊本県八代市宮地地区に伝わる宮地手漉き和紙を次世代に保存継承することを目的として有志のグループ。活動の内容や、イベントなどのお知らせは、フェイスブックのページから。
https://www.facebook.com/miyajiwashi/(別窓リンク)
宮地和紙の開祖である矢壁新左衛門。
その子孫が取り組む技術の継承。
約400年前、宮地の手漉き和紙の礎を築いた矢賀部(矢壁)新左衛門から5代目にあたる矢壁政幸さんが、伝統の技法でつくられる和紙づくりに取り組んでいます。「昔から伝わるやり方で和紙を漉いていますが、それがいかに理にかなったやり方か実感できます」と和紙づくりに対する想いを語る矢壁さんは、10年前に勤務していた大学を退職後、紙漉きを“作品づくり”として研究を重ねています。江戸時代に幕府や宮家に献上された「水玉紙」(水滴を落とすことで水玉の文様をつけたもの)を再現するなど、伝統的な技法を追究することで、 “理にかなった”ものづくりの気付きが多いといいます。
宮地和紙の開祖である新左衛門の碑の裏に小さな工房をつくり、紙漉きの作業をしている矢壁さん。小学生のお孫さんが、「楽しいね」と紙漉きに興味を持ちはじめたといいます。次世代につなぐ紙漉きの技術伝承の“光”がそこにありました。



和紙を日常生活に取り入れる工夫
手漉き和紙の伝統を次世代につなぐのは、
手に触れ、使うことから。
前述した「八代宮地紙漉きの里を次世代につなぐ研究会」では、宮地和紙で何かを作り、使うことで手漉きの紙の魅力を伝えていく取り組みを行っています。子ども達の集まるイベントでは、新聞紙や書き損じの紙に宮地和紙を貼り付ける一閑張りのかごを作るワークショップを開催。また、町歩きのイベントでは、宮田さんの職屋を見学した後に、和紙を折って作る箸袋や、和綴じ本作りの体験を行いました。伝統工芸として伝わってきた和紙を、遊びや日用品の中に取り入れる体験こそ、和紙の魅力に触れる機会であることを実感します。

今回の紙漉きの里歩きにご同行いただいたのが、書家であり、くまもと手仕事研究所のキュレーターでもある稲田春逕(しゅんけい)さん。書家にとって、紙は作品づくりに欠かせないもの。「紙と墨、そして筆の出会いによって作品は生み出されます」と稲田さんが語るように、紙の性質によって筆の運び、墨のノリも変わってくるといいます。和紙を使う機会が日常の生活において減っている今だからこそ、温かみのある和紙で手紙を書いてみるといいかもしれません。暑中お見舞いや、お年賀など、季節のあいさつはもちろんのこと、「あの方元気にしてるかな」「そろそろお会いしたいな」という気持ちから手紙を書くのも良いものです。その際には、時候に合わせた言葉をひとこと添えてみると素敵です。



- キュレーター:稲田 春逕さん
- 熊本市在住。9歳から書をはじめ、現在に至る。熊本県書道展会員。様々な体験や学びを取り入れた教室をはじめ、熊本市五福ふるまちまちづくりの会で地域の文化活動に取り組む。心の深いところにじわりと響く書を追究する。
大人も通える春逕先生の書道教室
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■しゅんけいの手ぶらで書道
道具も、紙も、持参しなくても、手ぶらで書道を楽しく体験できます。
開催場所:「バイーア」熊本市中央区上通町10-6 2F
開催日時:毎月第4月曜 13:00から2時間程度
料金:1回2,000円(材料費込み)■筆倶楽部FCしゅんけい
書道にチャレンジしてみたい人にぴったりの教室です。
開催場所:「五福公民館」熊本市中央区細工町2-25
開催日時:毎月第2、第4木曜 19:30から
料金:1回1,500円(材料費込み)Facebook:春逕書道教室(別窓リンク)