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#035

武士の美意識「肥後象がん」。伝承と革新のものがたり

江戸時代、武士のお洒落として発展した「肥後象がん(ひごぞうがん)」。この雅味あふれる伝統工芸に現代のエッセンスを加え、創意に富んだ作品を生み出しているひとりの職人をご紹介します。

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秋分の日が過ぎ、頬をなでるひんやりとした空気に秋の深まりを感じ始めるころ、熊本では恒例の「くまもとお城まつり」が開催されます。春と秋、年に2回開かれるこのお城まつり、秋は熊本城内の二の丸広場をメイン会場に、太鼓響演会や古武道演武会、薪能など、日本の伝統文化や芸能の催しが行われます。まるでタイムスリップしたかのような光景を眺めながら、熊本城を築城した加藤清正の時代に想いを馳せる人も多いことでしょう。そんな加藤清正が成り立ちに関わり、以後熊本で花開いた伝統工芸が「肥後象がん」です。漆黒の鉄地に金銀をあしらった精緻な意匠は、全てが職人の手仕事。熟練の技巧が400年という歴史の重みを感じさせます。この技術を継承しつつ、柔軟な発想と多彩な素材で肥後象がんに新たな命を吹き込む肥後象がん士・稲田憲太郎光秀さんの工房を訪ねました。

17歳で肥後象がん界の門を叩く

武家に愛された、
重厚で品格漂う美

熊本市西区に位置する金峰山(きんぽうざん)。豊かな自然と史跡を有し、「市民の山」として親しまれているこの山の中腹に、稲田憲太郎光秀さんの工房があります。三方向に設けられた窓からさんさんと光が差し込む自宅奥の一室に機材や道具がぎっしりと並ぶさまは、まるで小さな鉄工所のようです。「目を覚ますと小鳥のさえずりが聞こえます。毎日森林浴をしているようで、心地よく仕事ができるんですよ」。柔和な笑顔でそう話す稲田さんは、肥後象がん士として国内外に活躍の場を広げている若手の第一人者です。

肥後象がん士、稲田憲太郎光秀さん
祖父が管理していた古い家を修繕した住まいが稲田さんの自宅兼工房。工房には鹿の角など、何百年も前から名工に愛用されてきた道具がずらりと並ぶ。

肥後象がんは、約400年の歴史を持つ熊本の伝統工芸です。江戸時代、肥後熊本藩主・加藤清正や細川家に仕えた鉄砲鍛冶の林又七が、銃身や刀の鍔(つば)に九曜紋(くようもん)などの装飾を施したことが始まりとされ、武家文化の隆盛と共に発展しました。特徴は、派手さを抑えた上品さと重厚感。日本独特の美意識 “詫び寂び”を表した閑寂な意匠が武士たちによって愛好されました。特に細川忠興公は何人もの名匠を召し抱えてその技を競わせたため、後世に残る名品が次々に生み出されたといいます。明治9年(1876年)に廃刀令が発布されると、刀装金具の需要がなくなり、肥後象がんは衰退。しかし、その後はアクセサリーや工芸品など日常的な道具へと姿を変え、現代に受け継がれています。2016年に開催されたG7伊勢志摩サミットで、各国首脳などへの贈呈品として肥後象がんを施した万年筆が贈られたのは記憶に新しいところではないでしょうか。

幼い頃から何か作ったり絵を描いたりするのが好きだったという稲田さん。叔父が肥後象がん士であったため、仕事する姿を間近に見ながらモノづくりを生業にすることへの興味を深めていきました。定時制高校に通っていた17歳の時に肥後象がんの道に進むことを決意し、19歳で、人間国宝・米光太平光正氏をはじめ多くの肥後象がん士を輩出した米野美術店に就職します。働きながら基礎を学び、4年後に河口知明氏に師事。「修業は口伝のみで、師匠の技を見て覚えるという世界。最初は基本の技法である布目切りを3ヶ月間練習し、それから簡単なデザインの象嵌を入れさせてもらい、少しずつ学んでいきました」。技術の習得に励む傍らで次第に注文も受けるようになり、およそ7年間の修行を経て26歳で独立します。しかし、独立当初は肥後象がんだけでは生活できず、ガソリンスタンドや皿洗いなど様々なアルバイトを掛け持ち。象がん1本で食べていけるようになったのは34歳の時でした。

こだわりの道具はほとんど稲田さんの手作り。例えば右から2番目の金属を密着させる際に使う金槌は、何十年も囲炉裏でいぶされた煤竹を使う。「これが、身が締まっていてしなりがあるのでとても使いやすいんです」。
咆哮する虎を描いた虎図鍔(左)と九州新幹線全線開通記念に制作された「龍が如く」。黒金銀で「動」を表現するのは稲田作品の真骨頂。

たくさんの人に肥後象がんを楽しんでほしい

若い世代にも受け入れられる
現代にマッチした肥後象がんを

現在はほぼオーダーメイドのみで制作活動を行っている稲田さん。帯留め、香炉、ピンバッジ…。卓抜の技術から生まれる端正で美しい手仕事にファンも増え、休む間も惜しいほど日々作品作りに励んでいます。オーダーメイドの醍醐味について尋ねると「誰のために作るのかを考え、追求していくこと。お客様の要望に真摯に応えることが自分の技の成長に繋がります」。「静」の世界観が多い肥後象がんですが、稲田さんは生き生きと躍動感あふれる動物や川魚などをモチーフにすることも。現代の肥後象がんの主流である布目(ぬのめ)象がんだけでなく、昔、肥後の職人たちが行っていた高肉(たかにく)象がんや掘り込み象がんなどの技法も駆使して立体的で表情豊かな作品に仕上げます。さらに、ナイフなどに使用される「ダマスカス鋼」の素材である鋼を象がんしやすい軟鉄に変え、刃物職人と共に開発した新素材など、これまでの肥後象がんでは見たこともない素材での作品作りにも挑戦しています。そんな活動は各業界から注目され、2017年には、新しい発想でモノづくりに取り組む若き匠をサポートする「レクサスニュータクミプロジェクト」の熊本県代表に選出。「SAMURAI」をコンセプトに作り上げた作品は、バイヤーを始め、多くの人々に支持されました。

ヤマメのデザインをオーダーされ、稲田さんが制作したベルトバックル。沢を登るヤマメの猛々しい表情と高肉象がんで盛り上げた水しぶきがダイナミックな一瞬を感じさせる。第43回西部工芸展入選。
肥後象がんの基本技法である布目切り。ベースとなる鉄地に、金槌とタガネを用いて縦横斜めの4方向から微細な刻みを入れて表面を剣山状にする。わずか1㎜間に5~7本の刻みが整然と並ぶさまはまさに職人技。
レクサスニュータクミプロジェクトでは、「外国人が喜ぶようなプロダクトにしては」というスーパーバイザー小山薫童氏のアドバイスを受け、刀の鍔をそのまま小さくしたピンバッジを制作。作品展では毎回完売する人気だ。

「若い人たちにも肥後象がんの魅力を知ってほしい」と、熊本市で象がん教室を行う他、学校や国内外でのワークショップも精力的に開催。「情報過多な今の時代って、体験することや感じることがおろそかになっている気がするんです。昔の職人たちはいうなればオタク。彼らが全身全霊をかけてこだわり抜いた仕事を体感することを通じて、日本人独特の感性やルーツみたいなものを感じとってもらえたら。そしてたくさんの人に肥後象がんを楽しんで使ってもらえたら嬉しいですね」。今後は視点を変え、アート性の強い作品づくりにも取り組んでいきたいと熱く語る稲田さん。伝統を守りながら挑戦し続けるその姿は、まるで現代のサムライのようにも見えました。

川尻のくまもと工芸会館で隔週開催されている稲田さんの肥後象がん教室は終始和やかな雰囲気。生徒さんは老若男女様々で、指輪や名刺ケース、へその緒入れなど、普段使いのものや記念の贈りものとして作られる方が多い。一日体験も可能。右下写真はライターが体験で作らせてもらったペンダント。布目切り体験、用意された抜型を選んでデザイン決め、象がん、布目消しの工程まで1時間半ほど作業を行い、後は稲田さんが工房に持ち帰って完成までを手掛けてくれる。(一日体験で作った作品は後日お渡しとなります)

稲田さんが今最も注目しているのがニッケルと鉄を重ねた鋼材「ダマスカス鋼」。繰り返し折り曲げて叩くことで美しいミルフィーユ状の層が現れる。

【稲田憲太郎光秀展示情報】
「肥後象がん展」
熊本在住の7名の肥後象がん士が、潜伏キリシタンの刀鍔などをテーマにした作品を展示。
場所/熊本県伝統工芸館2F
日時/2018年10月30日(火)~11月4日(日)
問)096-324-4930
■稲田憲太郎光秀
熊本市西区河内町岳1844-241
問)090-7380-3862
■肥後象がん体験
時間/1時間半程度
料金/3500円(送料不要の場合は3000円)
体験場所/くまもと工芸会館
問)096-358-5711

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