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茶道「肥後古流」の作法と、年の始めの「初釜」。

日本の茶道を確立した千利休。熊本には、その精神と手前を継承する「肥後古流」があります。

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茶道のなりたち

お茶は奈良・平安時代に、最澄(さいちょう)、空海(くうかい)、永忠(えいちゅう)等の留学僧が、唐から茶の種子を日本に持ち帰ったことが始まりだと言われています。
鎌倉初期に、栄西(えいさい)禅師が宋から帰国した際に抹茶法を日本に持ち帰るとともに、長崎・佐賀・福岡で茶園を開きました。その後、栄西禅師がお茶に関する効能などを記した医学書「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を鎌倉幕府三代将軍・源実朝(さねとも)に献上したことで、お茶が広まったと言われています。
栄西、村田珠光(じゅこう)、珠光の弟子であり千利休の師である武野招鴎(たけのじょうおう)の3人により今日の日本の茶道の原型が作られ、その後、千利休により確立されました。

武家の作法を色濃く残す「肥後古流」

「わび茶」の完成者である茶人・千利休には「七哲(しちてつ)」と呼ばれる7人の優秀な武将茶人の弟子がいました。
細川家初代・幽斎の息子である三斎(忠興)もその一人です。三斎は利休を深く敬愛し、利休の精神・作法は完成されたものであり手を加えるべきものではないと考えていました。細川家三代・忠利もまた利休の茶風を好み、利休の孫婿である古市宗庵(ふるいちそうあん)を茶頭として細川家に迎えました。利休の精神・作法は古市宗庵から萱野隠斎(かやのいんさい)、小堀長斎(こぼりちょうさい)に伝授され、古市・萱野・小堀の三家による「肥後古流」が確立し、“細川家の茶の湯”として受け継がれていきました。
現在、「肥後古流」は、小堀家と古市流から引き継いだ武田家が作法を受け継いでいます。「肥後古流」は、利休の茶の精神と手前を400年近くにわたって守り、継承しているのです。

この日、「肥後古流 白水会」会長 小堀俊夫さん(小堀家13代)のご自宅の茶室「臨川亭(りんせんてい)」を訪ね、肥後古流の作法について伺いました。
「茶席が初めてだからといって緊張することはありません。慣れていない方には、亭主(客を招きお茶を点ててもてなす人)や門人が、さりげなくお菓子を勧めることなどをしながら、流れをお伝えします。茶道の作法の最たることは、相手の気持ちや立場を思いやり、その場を共に楽しむことなのです。松江藩第7代藩主であり茶人でもあった松平不昧(ふまい)公は、“客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ。”という言葉を残しています。“亭主は、飲む人の立場になってお茶を点て、客はお茶を点てる人の立場になってお茶をいただくように心がけよ”という意味で、その思いやりこそが茶道の本質だと思います。」と、小堀さん。
正式な茶事の場合、亭主と少人数の客で4時間ほどかけ、ゆっくりと懐石、濃茶、薄茶をいただきます。
「かつて、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの天下人にとって、茶の湯やお道具は自分の力を誇示するステータスでした。そして茶室は武将にとって大切な密談の場でもあり、政治折衝の場だったのでしょうね。」「茶道には、書、絵、焼物、鉄、竹、漆、花、お菓子、庭、建築、歴史などの要素が含まれています。お茶は和の文化の総合的なものと言えるのではないでしょうか。」と小堀さんは笑顔で丁寧に教えてくれます。

千利休は釜の湯の湧き具合「湯相」(ゆそう)を「蚯音(きゅうおん)」「蟹眼(かいがん)」「連珠(れんじゅ)」「魚目(ぎょもく)」「松風(しょうふう)」の5つに分け、お湯がしゅんしゅんと音を立てる音「松風(しょうふう)」を良しとしたそうです。
心地よい静寂の中、松風の音や亭主が袱紗(ふくさ)を捌く音が響き、茶室の空気を凛と澄ませます。

茶事の流れ

茶事や茶席に招かれた場合、その流れを覚えておくと、安心してより深くお茶を楽しむことができます。 初心者に向けて、お茶席の一般的な流れを小堀さんに教えていただきました。
●茶室に入る前に、つくばい(背の低い手水鉢)の水で手と口を清めます。
●茶室に入ったら、床の設え(掛け軸、花入れなど)を拝見し、その日のお道具を拝見します。(お道具は眺めるだけで手は触れません)
●拝見を済ませて席に座りますが、メインゲストである正客(しょうきゃく)と末席に座る詰めは茶席の進行などを担います。したがって、茶席に慣れていない方は中ほどの場所に座り、隣の方の作法を見て、同様にすると良いでしょう。
●出されたお菓子は懐紙の上に取り、黒文字を使っていただきます。(干菓子は手でいただきます。お菓子を食べ残す、食べないなどは失礼にあたります。食べない場合は懐紙に包んで懐や上着のポケットなどに入れて持ち帰ります。使った懐紙や黒文字なども持ち帰りましょう。)
●お茶は茶碗の正面が客に向けて出されます。茶碗を手に取り、左の手のひらの上で2回ほど左に回し、茶碗の正面を避けてお茶をいただきます。飲み終わった後は、茶碗をなるべく床に近い低い位置で丁寧に回しながら拝見します。
●茶碗の正面が亭主側になるように向けて置き、お返しします。
●茶事が終わった後は、再びお道具を見て、床の設えを見て、茶室から退席します。

【写真(左上)】
流派によって作法が異なりますが、肥後古流には武士のたしなみとしての茶道を物語る所作があります。例えば、「切り柄杓(ひしゃく)」という所作もその一つ。湯返しをした後の柄杓を、刀をはらうように振り、露を振り切ります。また、他の流派では袱紗(ふくさ)を腰の左側に着けますが、肥後古流の場合は反対側の右側に着けます。武士は左腰に刀を差すため、そこに袱紗を着けないのは、武士のたしなみの茶道である肥後古流ならではの作法です。
【写真(右上)】
この日、小堀さんは、初釜の時期に合わせたお道具でお茶を点ててくださいました。(左から)茶碗/楽家四代一入(いちにゅう)作「赤楽茶碗」、仕服(茶入れを入れる袋)、茶杓(細川重賢公から小堀家に贈られた品)、水差「古八代茄子(こやつしろなすび)」、茶入「茶臼屋(ちゃうすや)」(江戸中期のもの)
【写真(下)】
(左から)細川重賢公から小堀家が拝領した茶杓「銘 いはを」。茶杓を入れる筒、袋、内箱、外箱。内箱には時習館初代校長・秋山玉山(ぎょくざん)の書が、外箱は茶杓を賜った日付を小堀長順(ちょうじゅん:小堀家3代)が書きしたためています。

「初釜」とは?

元旦に汲む水「若水(わかみず)」を飲むと、一年の邪気を払うとされています。「初釜(はつがま)」とは、茶人が若水で釜を開き、年の始めに門人を招いて新年を祝い精進を誓う、新年最初の茶事です。そこで、懐石・濃茶・薄茶をいただきます。
床の間の掛け軸には新年を祝う縁起の良いものを飾り、花はこの時候のもの(椿や水仙など)を挿します。

【写真(左)】
床の掛け軸「鶴 亀 竹 松」は細川重賢公の書。花入れは細川三斎公作で、およそ400年前のもの。
【写真(右上)】
(花入れの後ろには、カタツムリの化石が付いていました!)
【写真(右下)】
薄茶の時にいただく干菓子。初釜の時、小堀さんはしばしばお菓子に「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」を用意されるとか。この時期の茶事では、お正月のお菓子である「花びら餅」(ごぼうと白味噌餡と桃色の餅を求肥で包んだ和菓子)なども用いられます。

茶席の「タブー」(気をつけること)

●指輪、腕時計、ブレスレット等は外しておきます。(お道具に傷をつけないため)
●炉の横の、亭主がお茶を出すところ「道具畳(どうぐだたみ)」に足を踏み入れないこと。
●お菓子はお茶を美味しくいただくために亭主が大切に用意をするものです。お茶をいただく前に残さず食べ、食べ残した場合は持ち帰ること。
●濃茶をいただく場合、お茶を飲むまでは会話をしないこと。

茶席に持参するといいもの

●懐紙
●黒文字(お菓子をいただく楊枝のこと)
●ポケットティッシュ
●白いソックス(洋装の場合、白足袋に代わるのもとして白いソックスをはくのが習いです)

※懐紙と黒文字はお茶道具を扱う店で購入できます。最近は写真のような「くまモン」入りの懐紙も…。

【肥後古流(小堀家)の年間の主な茶事について】

●1月第2土曜・日曜「初釜」
●1月18日「泰勝寺献茶式(三斎公への献茶)」
●3月第1日曜「利休忌(りきゅうき)」(千利休の命日に集う茶会)
●4月23日「出水神社春季例大祭献茶式」
●6月第1日曜「肥後古流しょうぶ鑑賞茶会八代古流」(八代市・松井家にて)
●10月第2月曜日(体育の日)「熊本県芸術文化祭合同茶会」(表千家・裏千家と合同で行う茶会です)
●10月19日「出水神社秋季例大祭献茶式」
●11月18日直前の日曜「古流大会(細川三斉公への献茶式)」

■取材・撮影協力/「肥後古流 白水会」会長・小堀俊夫さん