センスを磨くのは難しい。よくそう言われます。
今回の特集は「センスがいいご家族」に嫁がれた方が見出した、センスはその背景を学んで培うもの、というお話です。センスの磨き方に悩む皆様へお届けします。
[島田忍さん]
4回にわたり島田忍さんのコラムをお届けします。今回は3 回目。 故・島田真佑氏ご子息のガラス工芸作家・島田真平さんと2012年に結婚。 島田家を守るかたわら、ご自身もフラワーアレンジメントの講師を勤められ「花と食のワークショップ」などを主宰されています。 |
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センスがいい一家
驚くことに島田の人々は皆、センスがいい。
いろんな人と出会ってきましたが、どの分野においてもバランスよくセンスが良い人たちと巡り会えたのは私の人生において、「センス」とは何かをより深く探求するよいきっかけとなりました。
美術館をやっているのだからセンスが良いのは当たり前だと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、それだけではない独自のセンスの使い方と磨き方というものがそこにはあります。私は島田家に入り、それを感じ分析して私自身もセンスを磨くべく学ばせてもらっている日々なのです。

義父・義母から学ぶこと
島田の義父は古文の教師でもあり小説家でもありました。使う言葉や文章はもちろんのこと、話をしている中でもその背景にあるストーリーなどをセンスよく表現することが、ずば抜けて優れており、普段の会話もとても軽快で楽しいものでした。
その義父は写真家でもある義母を天才と評していました。多岐にわたりずば抜けたセンスの持ち主で、島田家のセンスのマザーシップなのです。
そんな両親のセンスの良さの背景には様々な知識の蓄積があると、最近思い始めました。
というのも、センスが良い悪いは感覚的なものなので、これが正解というものはありません。でも自分が良いと思えるものに対して、そう思った根拠を言語化できる知識が豊富であれば、センスはより磨かれていくのではないかと感じたからです。
ただ単に様々な分野の知識が豊富というよりも自分の好きと思える分野がハッキリしていて、それを掘り下げて知識を楽しみに変えるのが得意だといったほうがいいかもしれません。
この好きの深堀、「知ろうという姿勢」が習慣としてあるのです。
知識が表現につながる
しかしながら、それは美術館であるがゆえの必然的なことだと主人は言います
(主人、島田真平はガラス作家)。
なぜそれが興味深いものなのかを両親から教わり、歴史という過去に学び、古いものに慈しみを持ち、それに対して美しいと感じた体験の蓄積がある主人と、普通の家に育った私とではその差が圧倒的に大きいのです。
知識を学び歴史や過去を知ること。それが今の時代に自分が何を作り生み出し、表現していくかという思考の礎となるのです。

センスは誰にでも備わっている
こう書くと、センスは生まれ持った環境だから、自分にセンスがないのはしょうがないことだと諦めてしまいそうですが、本来、センスは誰にでも備わっているものなのです。
お花のレッスンをしていると、「私センスが無いから」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、どういうものが上手なのかという認識がないだけのことが多いのです。
私も、センスを磨くためにはどうしたらいいのか、どうしたらセンスが良くなるのか?と皆さんと同じように考えて生活しています。
私も義母のように、主人のようにセンス良くなりたいと思うのです。
そこで気付かされたことは、とにかく普通を知ることが大事だということ。ここで言う普通とは良いものも、悪いものも両方知ったうえで、その真ん中が分かる、ニュートラルなポジションがいろんなものを作り出せるセンスの原点であるということ。決して好きか嫌いかではありません。
良いものには理由があり、それを知るごとに知識が集積され、アイデアも出てきて、具体的に少しずつ上手く表現できるようになる。これがセンスを磨くということかもしれませんね。きっと私も皆さんも、同じようにセンスを等しく持っていて、その差があるとしたら、それをどう育て、使っているかの違いだけなのかもしれません。



島田の母の種好きが高じて美術館に常設した種のギャラリー『種棒』
島田は美術館という場所柄、過去からいろんなことを学ぶことができます。
いわば過去と未来の引き合う接点。そういう環境でご一緒している家族は、豊富な知識を兼ね備えた、すなわちセンスを磨くためのよき師のようなものなのです。
私もこれから、たくさんのものを見て知識を増やし、それをアウトプットしていけるようなセンスを育んでいきたいと思うのです。
島田家の嫁としてのセンスを磨く冒険の旅は始まったばかりです。