<今回のコラム監修> 木下真弓さん
1975年生まれ、天草育ち、3児の母。エディター&ライター、ソルトコーディネーター、だしソムリエ、温泉ソムリエ。Ama-biZ(天草市起業創業支援センター)の外部アドバイザーとして、生産者や事業者のサポートに携わる。現在、副業林業を目指して、模索中。 |
![]() |
ペンとチェーンソー。
わたしが副業林業を目指すワケ
エディター&ライターとして仕事をはじめ、20数年が経ちました。さまざまな場所や人に出会い、取材や執筆、各種企画や商品開発・販促など、広義で「伝えるお手伝い」をするなかで私自身も多くの学びをいただく毎日です。自分の役割のひとつと考えていた両親の看取りも無事に終え、あと数年で子育てもひと段落しそうな今、次なる生き方として模索をはじめたのが「副業林業」という道です。取材を通じて幾度か「林業」を垣間見る機会はあったものの、まさか自ら「そこに足を踏み入れたい!」という衝動に駆られるとは思ってもいませんでした。ではなぜ、副業林業を志そうと思ったのか?そこには2つのきっかけがありました。ひとつは漁師さんのつぶやき。そしてもうひとつは令和2年7月の豪雨災害です。
タコ壺漁師が教えてくれた「山に人が入ること」の大切さ
数年前の冬。私は天草諸島の港町で、たまたま出会ったタコ壺漁師と立ち話をしていました。「タコ壺漁」とは、巣の中で産卵するタコの習性を生かした漁法のこと。天草・苓北の「内田皿山焼」でつくられる陶器の壺を海中に沈め、産卵場所を探して中に入ったタコを獲るのです。毎年5月に解禁されるこの漁自体、天草の風物詩でもあるのですが、この漁師さんは「最近はタコも少なくなった」とさみしそうに言いました。港や河川の埋め立て工事の影響?などと勝手に原因を推測したのですが、漁師さんの口から出たのは「山に人が入らんごとなったけん」という意外な一言。「海でも川でもなく、山?」と戸惑う私に漁師さんは「昔は山の木を伐って生計を立てる人も多かったけど、最近は木を伐る人もおらんけん山は荒れ放題。山の土が痩せれば、川をつたって海に流れ出る栄養分も減る。タコや魚の餌も減るし、漁礁も育たん」と言うのです。そういえば、水俣で漁師の森づくりの話を聞いたことがあった!と思い出し、海と森のつながりを知りたくなって「森は海の恋人」という本をむさぼるように読みました。「魚(うお)つき保安林」という考え方があることを知ったのは、恥ずかしながらその後のことでした。


うつくしいまちを襲った「山津波」。不安と恐怖が山への興味をかきたてた
それから時が経ち、昨年の夏。熊本県各地に被害をもたらした「令和2年7月豪雨」が起きました。私は、人吉市や球磨村、芦北町、八代市坂本町で災害復旧ボランティアに参加し、各地の現状を目の当たりにしました。家族で「ラフティング」や「球磨川下り」を楽しんだ清流は濁流と化し、田園を走る列車でいざなわれた無人駅のホームは跡形もなく壊れ、情緒あふれる街並みには泥まみれの家財が積み上げられていました。昔ながらの木造家屋が立ち並ぶのどかな集落は、被災家屋の解体作業や床下の泥出し作業で騒然とし、行き交う工事車両の土ぼこりに霞んでいました。
「家族をひとりずつ浮き輪にのせて、泳いで避難させた」。「あっという間に水が押し寄せ、流木や漬物樽が渦を巻きながら流れて行った」。「川向こうは毎年、水が上がる地区。大雨がふれば畳と床板をはずして家の高いところに渡し、その上に家財をのせるのが恒例で、よく加勢に行きよった。水がひくのを待てばあとの暮らしは元通り、それが昔の知恵だったとよね。でもまさかこの地区も濁流にのまれるとは」。ボランティアの先々で聞く、日常を奪われた人の声に、「山津波」という言葉が頭をよぎりました。
そんなある日、支援物資のお届けで集落をめぐることがありました。寸断された道、土砂で上昇した河床、流木で埋まった砂防ダム。次に大雨が降ったら、水の流れる余地はあるのだろうか?そんなことを考えながらあたりを見渡し、私は言葉を失いました。集落の背後にあったのは、山肌がむきだしになった皆伐地。水で削がれたような痕跡もあり、伐ったまま放置された丸太は今にも崩れ落ちそうに見えました。線状降水帯がもたらした短時間の大雨が原因といわれていましたが、山にも何かあるのでは?だとしたらこれは、いつどの地でも起こりうる災害なのではないかしら?そう思うと、不安と恐怖で押しつぶされそうになりました。「安全な場所、安心して暮らす術を知るために、山のことを学びたい」。そう思い始めた頃、ボランティアで知り合った方から「ジバツガタリンギョウ」という耳慣れない言葉を聞きました。「自伐型林業」って一体なんなの?夜な夜なネット検索し、たどりついたのが「林業就業支援講習(※)」です(※同講習は自伐型林業に限ったものではありません)。

育てるために伐る!?私なりの副業林業への模索
20日間に及んだ講習は、森と林の違いや人工林の特色、山の保水力、獣害といった座学に加え、小型重機・刈払機・チェーンソーを安全に用いるための特別講習、伐木の実習、作業道づくりといった実践まで、多岐に渡ります。なかでも印象深かったのは、「売るために木を伐る」のではなく「育てるために木を伐る」という考え方です。「木を1本伐るだけで、林床に光が入る。風の状況が変わる。大切なのは、育てたい木をちゃんと見ることだよ」。林床に寝そべるようにしてひとつひとつの木を見上げ、語る先生の言葉と姿は今も脳裏に焼きついています。それまで、さまざまな取材先で「伐りどき」「○割間伐」という言葉を聞いたことがあったものの、「育てるために伐る」という考え方にふれたのは初めて。林業をもっと知りたいと思った瞬間でした。


翻って考えると、天草では昔から、森と海の循環が行われてきました。坑木や炭焼き、水産加工など。牛深の港では今も、ウルメイワシやサバ、アジなどを塩水で炊き、カシやシイで燻して保存性を高める「雑節」の製造が行われ、日本一の産地として知られます。私が知ろうとしなかっただけで、山と海とともにある生き方はすぐ近くにあったのだと感じるこの頃です。針葉樹と広葉樹、林間作物、土壌微生物、阿蘇の草原、萱刈り、これまで聞き流していたいろんな言葉が、私の明日をつくるかもしれないキーワードとして浮かび上がる日々。私なりの副業林業のありかたを見つけるべく、これからもリアルとネットを行き来しながら、模索を続けようと思います。