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#004

和菓子で味わう“花鳥風月”と、上巳の節供。

萌の野山を思わせる春の「和菓子」と、往時のさまざまな想いを今に伝える熊本の「雛飾り」をご紹介します。

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03/19

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【二十四節気】
【七十二候】

和菓子の歴史

かつて遣唐使が唐朝から持ち帰ったものの中に「唐菓子(からくだもの/からがし)」がありました。これは米・麦・大豆・小豆などをこねたり油で揚げたりして作るもので、特徴のある形や細工が施されていました。もともと祭祀用として尊ばれたこの「唐菓子」が、後に和菓子に大きな影響を与えたといわれています。実際、当時の「唐菓子」の形や細工のデザインは、現在の和菓子を連想させるものです。
お菓子の歴史は、お茶の歴史と共にあります。鎌倉時代初期に、栄西(えいさい)禅師がお茶に関する効能などを記した医学書「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を鎌倉幕府三代将軍・源実朝(さねとも)に献上したことで茶の湯が広まり、喫茶の習慣が発達すると、趣向を凝らしたお菓子が登場するようになりました。室町時代の茶席には「点心」と呼ばれる、食事以外の軽食があり、その中に「羊羹」という、小豆の粉などで羊の肉を象ったものを入れた汁物がありました。それが現在の「羊羹(ようかん)」の始まりです。
やがて江戸時代になって世の中が平和になるとお菓子づくりが盛んになり、京都の「京菓子」と江戸の「上菓子」が競い合い、和菓子の技術は飛躍的に発展しました。その後、明治時代に西洋の菓子文化や調理器具などが伝わったことで、饅頭やカステラなどの焼き菓子が誕生しました。日本人は、古代から外来文化や新たな技術を柔軟に受け入れるとともに、日本独特の文化と伝統を生かし、千年を超える歴史の中で、独自の「和菓子」文化を育んできたのです。

川尻「開懐世利六菓匠(かわせりろっかしょう)」による春の和菓子

熊本市南区川尻地区の6名の和菓子職人で構成される「開懐世利六菓匠」。“開懐世利(かわせり)”とは、中国・明の時代の地理書に記されていた川尻の古名です。「開懐世利六菓匠」は、伝統的な菓子作りの技術や素晴らしさを伝え、それを歴史と伝統のある川尻のまちづくりにつなげていくことを目的に平成2年(1990)から積極的に活動を始めました。
この日、開懐世利六菓匠の中から4名の方にお集まりいただき、熊本の和菓子の由来と春の和菓子についてお話を伺いました。
「和菓子は土地の文化に育まれて発展してきました。米どころであり農業が盛んな熊本では、米・もち米・からいもなどを使ったお菓子“いきなりだんご”“豆だご”などが知られています。もともとそれらは“小昼(こびる)”といわれる、朝ごはんとお昼ごはんの間の作業の合間によく食べられていました。上生菓子は武士がお茶とともにたしなんでいたもので、お茶文化が盛んだった地域や、商業が盛んだった京都や大阪などから発展していったものです。茶席ではもともと“麩の焼き(ふのやき)”など素朴な和菓子を食べていたようですが、やがて暗い茶室でも鮮やかに映え、季節感を表現した“上生菓子(練り切り)”が多くなりました。和菓子は“和食の華”と言われ、季節を先取りするものです。実際はまだ冬の時期であるお正月から、すでに春の花や植物、鳥、自然などを表現した春の上生菓子が登場します。また、和菓子は五感で感じるものです。色や形を楽しみ(視覚)、抹茶・ヨモギなどの香りを楽しみ(嗅覚)、菓子の美しい名前の響きを楽しみ(聴覚)、柔らかさなどの食感を味わう(触覚)、そして美味しさを味わう(味覚)ものです。お客様の中には、“小豆の和菓子はコーヒーと合う”など、ご自分の好みの飲み物と一緒に楽しんでいらっしゃる方も多くいらっしゃいます。お茶の席や日本茶以外にも和菓子を好みの飲み物と合わせるなど、もっと和菓子を日常で楽しんでいただきたいですね。」と六菓匠のお一人、立山学さん。
「全国菓子工業組合連合会」の資料によると、春の和菓子「草餅(よもぎ餅)」は平安時代、3月3日に婦女子が野に出て母子草(ははこぐさ:春の七草「ごぎょう」のこと)を摘み、草餅を作るという行事から広まりました。薬効があるよもぎから健康を願うことにも結びつき、雛祭りにも草餅を添えるようになったとか。雛祭りに欠かせない「菱餅(ひしもち)」は、下段から白・草色・紅色の三段ですが、これは寒い冬(白)を過ぎ、草木が芽吹き(草色)、花が咲く(紅色)ことを表現しているそうです(草餅の色、桃の花、白酒の色、という説もあります)。草餅、桜餅、柏餅、ちまきなど一年の行事を語る時、料理とともに和菓子は欠かせないものです。和菓子一つひとつに、由来、意味、願いなどが込められているのです。

【写真(左上)】
六菓匠の皆さんに作っていただいた春の和菓子とくまモン。左上から蜜柑(みかん)、くまモン、山吹、ぼたん。中央左から桜、うぐいす、菖蒲(しょうぶ)、水仙。下段左から椿、藤、菜の花畑、薔薇。
【写真(左下)】
この日、和菓子のお話を聞かせていただいた、左から片岡圭助さん、立山学さん、石原洋次郎さん、北川和喜さん。※「開懐世利六菓匠」メンバーは、北川和喜さん(天明堂)、立山学さん(立山菓舗)、片岡圭助さん(菓舗梅園)、石原洋次郎さん(菓舗いしはら)、岩本昭男さん(岩本菓舗)、中西弘一さん(菓舗かずさ屋)の6名です。
【写真(右)】
開懐世利六菓匠のお一人、北川和喜さんの店「天明堂」の奥に展示されている「落雁(らくがん)」とひと口大の落雁「口砂香(こうさこう)」の木型。翁(おきな:おじいさん)、媼(おうな:おばあさん)、そして梅、筍など。
和菓子職人の手により、次々に美しい上生菓子が誕生。
「2014年川尻月間」のお知らせ

平成13年(2001)から毎年春に川尻地区で開催されているイベント。川尻地域の歴史・伝統・史跡・酒蔵や和菓子の文化と魅力を伝えるもので、1ヶ月間の開催期間中に、川尻史跡めぐり、加勢川下り、伝統構法セミナー、歴史講演会、川尻の酒蔵まつりなどさまざまな催しが行われます。2月8日(土)・9日(日)にはくまもと工芸会館で、開懐世利六菓匠による「和菓子とのふれあい工房2014」が開催されます。今年は “川尻おもてなし”をテーマに、水前寺成就園内の「古今伝授の間」を模した共同製作工芸菓子を展示(川尻地区の設計事務所・工務店など職人さん6名で構成される「川尻六工匠」とコラボレーション)。その他、45×60㎝の黒い板の上で川尻の春夏秋冬を表現する「盆景菓子(ぼんけいがし)」約20点の展示、和菓子作りの実演、茶席など和菓子の魅力を存分に愛で、味わうことができます。
●期間/平成26年 2月8日(土)~3月9日(日)
●会場/くまもと工芸会館他
●問合せ/熊本市くまもと工芸会館TEL096-358-5711
http://www.kumamoto-kougei.jp/(別窓リンク)

■参考文献/
「和菓子の歴史」(全国和菓子協会)ホームページ
http://www.wagashi.or.jp/monogatari/shiru/(別窓リンク)
「良い和菓子は良い素材から【和菓子のいわれとその原材料】」(全国菓子工業組合連合会)

お雛様とお雛祭りの由来

昔、季節の変わり目には悪気が生じるといわれていました。それを祓(はら)う祭りを「節供(せっく)」といいます。節供には、正月7日「人日(じんじつ)」、3月3日「上巳(じょうし)」、5月5日「端午(たんご)」、7月7日「七夕(たなばた)」、9月9日「重陽(ちょうよう)」の5節供があります。
古来より日本では、祓いの道具として人形(ひとがた)があり、人間の代わりをするという意味で「形代(かたしろ)」ともいわれました。雛祭りの起源は、中国で3月3日、あるいは3月上巳の日に催された「曲水の宴」という災難厄難を祓う儀式に由来します。穢(けがれ)や禍(わざわい)を自分の身代わりとして土や紙で作った人形に移し、川や海に流して祓いをしたのが「流し雛」です。源氏物語の「須磨」にも、源氏が上巳の祓いを須磨の海岸で行い、人形を海に流す場面が描かれています。中世以降、上巳の節供で使われていた人形が、水に流すだけでなく、置いて飾るものとしても作られるようになりました。これが「お雛様」の始まりです。
最も古い宮中での雛祭りの記録は、2代目将軍秀忠の娘・東福門院が3月3日に雛の宴を催したと記されている文献です。そして、雛祭りは元禄以降に庶民たちの間にも広がっていきました。それでも人間の身代わりとしての意味は変わらず、公家や武士などの間では、娘の婚礼の嫁入り道具の中に「雛人形」を入れるようになったのです。
現在でも、雛祭りに欠かせないものに「桃の花」「白酒」「菱餅」があります。桃は邪気を払う仙木とされ、「武陵桃源」という伝説の中にも武陵の桃花を浮かべて流れ出る水を飲めば気力が充実し、300歳の長寿を保つ、とあります。その後、室町時代になると、甘い濁り酒「白酒」が祝いの席で飲まれるようになりました。

細川家に残る、雛人形・雛飾り

鎌倉時代より700年続く細川家。16代当主・細川護立(もりたつ)氏は、細川家に伝わる8万点以上の武具・絵画・書跡・茶道具・能道具などのコレクションを収蔵した「永青文庫」を設立しました。護立氏の長女・敏子氏の初節句の祝いとして調えられた雛飾りは、細川家の雛飾りとして唯一残る貴重なものです。男女一対の内裏雛(だいりびな)を中心に、三人官女、随身(ずいしん)、五人囃子、仕丁(しちょう)を配置し、その周囲に華やかな雛調度を飾り付けます。内裏雛は、公家の装束を正しく考証した有職雛(ゆうそくびな)と呼ばれるもので、男雛(おびな)は直衣(のうし)姿、女雛(めびな)は五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)を身に着けています。九曜唐草文の雛道具一式は、護立氏のすぐ上の姉君・猶姫(ゆうひめ)の婚礼道具の一部として用意されていたものといわれていますが、猶姫が明治31年に20歳という若さで天に召されたため、後に敏子氏が譲り受けました。
お雛様の美しさはもちろんのこと、驚かされるのは、黒漆塗、赤漆塗、金時蒔絵に桜唐草の紋など、本物と何ら変わらない美しい細工の道具類と、膨大な数。熊本県立美術館・学芸員の山田貴司さん(「くまもと手しごと研究所」キュレーター)によると、「雛調度(道具)はもともと婚礼調度の雛形(ミニチュア)として製作されたもので、江戸時代に大名の婚礼調度を模して造られたのが始まりです。化粧道具、膳具、遊道具、道中道具など多岐にわたる調度には、蒔絵で美しい装飾が施されました。これらは、女の子がやがて嫁ぐ日に向けて、幼い頃から本物の美しさに触れながら、日常生活に親しみ、生活に必要なことを学ぶためのものだったのです」とのこと。
かつて春の暖かい陽の中で、幼いお姫様が雛道具と戯れている姿が頭に浮かぶようです。

【写真(左上)】
敏子氏の初節句の祝いとして調えられた雛飾りの最上段にある、男女一対の内裏雛(だいりびな)。
【写真(右上)】
蒔絵で桜唐草の意匠があらわされた揃いの雛調度。外面が梨地(なしじ)、内面を朱漆塗とし、金平蒔絵で全面に唐草をあらわし、細川家の家紋の一つである桜紋をちらしています。調度の種類として、膳椀類、飯器、湯桶(ゆとう)、水次(みずつぎ)、三方(さんぽう)などの膳具が具(そな)えられています。
【写真(左下)】
道中道具の女乗物(おんなのりもの)、箪笥(たんす)、長持(ながもち)など。
【写真(右下)】
黒漆地に金蒔絵で細川家の家紋である九曜紋があらわされた揃いの雛調度。書棚などの三棚(さんたな)、碁盤などの三面(さんめん)ほか。
■熊本県立美術館所蔵
「細川」「県美」コレクション展

細川コレクション常設展示室(別棟展示室+2階展示室第1室)で「細川コレクション」(特集「馬の美術」、常設「細川家の雛飾り、武具、江戸時代絵画ほか」)を開催中。期間中、今回ご紹介した雛飾りがご覧いただけます。
●期間/平成26年 1月9日(木)~3月23日(日)
●会場/熊本県立美術館本館
●問合せ/熊本県立美術館本館TEL096-352-2111
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/(別窓リンク)

松井家10代章之(てるゆき)公が、最愛の妻に贈った天保雛

松井家は代々細川家の重臣として仕えました。国の名勝に指定されている「松浜軒」(八代市北の丸町)は、元禄元年(1688)、松井家4代直之が母・崇芳院(すうほういん)のために創建した茶室で、八代海を見渡す浜辺に面し、松林が連なる景勝の地であることが名前の由来となっています。松井家は細川家とともに文化芸能に秀でた家系で、初代康之は千利休の高弟であり、茶道に造詣が深い人物でした。松井家伝来の古文書並びに絵画書跡、陶磁器、武器武具、能関係の美術工芸品を保存し、後世に伝えるため、昭和59年(1984)に「財団法人松井文庫」が設立されました。
松井文庫に残されている、江戸時代中期の「享保雛(きょうほうびな)」や「天保雛(てんぽうびな)」、「元治雛(げんじびな)」などは、お雛様の顔立ち、表情、装いから、それぞれがどんな時代であったかをうかがうことができます。今回ご紹介する「天保雛(てんぽうびな)」は、松井家10代章之(てるゆき)公が天保10年3月に、前年に結婚した夫人・琴姫のために調えられたものといわれています。
「琴姫は江戸からはるばる八代に輿入れし、多趣味であった章之の良き理解者となったようです。2人はとても仲が良く、章之公ははるばる京都三条の“幾久屋(きくや)」から同じ内裏雛を5組も取り寄せ、琴姫に贈っています。章之公は、その年の7月に生まれた長女・加屋(かや)姫にも同じ京都の店から取り寄せた内裏雛3組を贈っています。章之公がどれほど琴姫と加屋姫を愛し、大切に思っていたかが伝わってきます。」と、「松井文庫驥斎」事務局長・榎田榮(えのきださかえ)さんが話してくれました。
幸せそうな天保雛の表情を見ていると、章之公と琴姫の深い絆とお互いを想う気持ちが伝わってきます。
雛祭りの季節になると、「松浜軒」では江戸時代から伝わる雛人形が展示されるほか、隣接する「八代市立博物館未来の森ミュージアム」では松井家伝来のお嫁入り道具を見ることができます。

●「松井家の雛祭り」/平成26年 2月8日(土)~3月23日(日):松浜軒TEL0965-33-0171 
●「松井家のお嫁入り」/平成26年 1月28日(火)~3月16日(日):八代市立博物館未来の森ミュージアムTEL0965-34-5555

【写真(左)】
175年前(天保10年)、松井家10代章之が夫人の琴姫に贈った天保雛。
【写真(右】】
姫様たちが作った肥後てまりも展示されています。
■財団法人松井文庫所蔵
第12回城下町「やつしろ」のお雛祭り

期間/平成26年 2月15日(土)~3月9日(日)
会場/松浜軒(八代市北の丸町3-15)、中心商店街ほか
問合せ/八代市観光振興課TEL0965-33-4115
http://www.ohinamatsuri.com/(別窓リンク)

 

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