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小満初候   蚕起食桑[かいこおきてくわをはむ]

ゆっくり、ゆったり湯の花、笑顔の花咲く温泉町 日奈久温泉

2022年5月22日更新
【キュレーター】浦 ひとみ 八代エリア

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少しづつコロナ渦における規制が緩和され、
観光地や商業施設もかつての賑わいが戻りつつあります。
1409年(応永16年)、
刀傷を負った浜田右近の平癒を祈願した
右近の子、浜田六郎左衛門が、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の
お告げにより干潟から湯を掘り当てたのを起源とする八代市日奈久温泉にお伺いしました。
日奈久温泉には、その後、
1540年(天文9年)8月11日から27日にかけて龍造寺氏が、
1586年(天正14年)9月10日に上井覚兼が、それぞれ湯治したという記録があるようです。
江戸時代には熊本藩細川氏の藩営温泉となり、藩主・細川綱利の命によって大浴場が設けられ、八代城主・松井氏や参勤交代途上の島津氏もよく利用したと言われています。
肥薩おれんじ鉄道の日奈久温泉駅から
日奈久温泉街まで国道3号線を歩きました。
かつては、国鉄の日奈久駅(現在の肥薩おれんじ鉄道の日奈久温泉駅)から温泉街(日奈久温泉センター)まで乗合馬車が運行されていたようです。
日奈久駅開業と同時に運行を開始され、
日奈久駅前から国道3号を経由して温泉街をのんびり走る馬車は日奈久温泉の名物として知られ、地元住民や観光客に長く親しまれてきたようですが、交通量の増加に伴って馬車の運行で温泉街での渋滞が慢性化し、交通事故や警察からの指導の増加も多くなってきたことから
乗合馬車の運行の存続と廃止については長年議論され、結局1984年に惜しまれつつ運行が廃止されております。
国道3号線を温泉街の方面に歩いていますと右側にキッチンカーで出て多くの人で賑わっているところが見えてきました。
-日奈久観光交流施設-
<日奈久ゆめ倉庫〉。
入口にくまモンが立ち日奈久温泉の魅力を発信されています。
やがて、左側に大きな「日奈久温泉」のモニュメント。
櫓仕立ての仕掛け時計台や日奈久温泉を愛した山頭火の碑が旅気分が盛り上げます。
足湯にも晩白柚を抱えたくまモン。
長い歴史の日奈久温泉ですが、
明治に入ると宿も増え、現在も
明治末期から昭和初期に相次いで建てられた木造三階建て、二階建て旅館群を見る事が出来ます。
その中には、建築的価値の高い建物も多く、
国の登録有形文化財に登録されている金波楼のほか、泉屋、柳屋旅館、などの建物の前に立つとかつての賑やかな人の往来の声が聴こえて来るようです。
温泉街の中心部にある日奈久温泉センター「ばんぺい湯」は、かつて、観光客や地元の方の「お風呂」として賑わっていた市営日奈久温泉センターの老朽化に伴い、解体されたものを
熊本藩の奥座敷で藩営の湯となり、明治時代には観光施設であった「本湯」をイメージした和風の新施設として建設されたものです。
開湯600年に当たる2009年7月、一度入浴すると1000回入浴した効果が出ると言われる祭り
「丑の湯祭」に合わせ営業が再開されています。
温泉街には、日奈久温泉名物の「ちくわ」や「竹細工」も販売するお店もあります。
今回はお伺いしませんでしたが、「ばんぺい湯」の横の石段を上り詰めると、日奈久の温泉街が見下ろせる場所に「温泉神社」があるようです。
温泉神社からは、海の向こうには天草の島が見る事が出来、
温泉神社の右手には、「稲荷大明神」の赤い鳥居が続き、 その横には「六郎神社」があり、一番左手の御社には六郎左衛門が掘り起こしたとされる『お告げの石』が安置されています。

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