処暑初候 綿柎開[わたのはなしべひらく]
今、天草市では、天草南蛮柿(いちじく)フェア2022が開催されています。







16世紀に天草に伝わったと言われるいちじく。
いちじくは、一般的には「無花果」と書かれる事が多いですが、天草では、「南蛮柿」と標記されます。
その歴史は古く、16世紀に日本でいち早くヨーロッパからキリスト教が伝えられた天草では、文化や学問も伝えられました。
ポルトガル人宣教師・メスキータ神父がイチジクの苗を天草に持ち込み、天草での栽培がはじまったそうです。
温暖な天草の気候がポルトガルと似ていたのか、すぐに根付き、柿のようにどこの家でも沢山、実をつけたのが「南蛮柿」の由来と言われています。
メスキータ神父は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名の名代としてローマに派遣された天正遣欧少年使節を、インドからローマまで引率しました。
天正遣欧少年使節はアレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父によって発案・計画され、日本からインドまでヴァリニャーノ神父が
引率してきたのですが、ゴアに到着したときにイエズス会総長クラウディオ・アクアヴィーヴァから「ヴァリニャーノはインド管区の統治のため、インドに留まるように」との命令が届きます。
彼に代わってローマまで少年たちを引率することになったメスキータ神父ですが、
実は日本出発時点ではまだ神父ではなく、修道士の位だったそうです。
マカオに到着したときに司祭に叙階され、神父となったようです。
メスキータ神父は、帰国後,ヴァリニァーノ,使節の少年たちと共に秀吉に謁見し、文禄4(1595)年天草のコレジョ(学院)の学院長となります。
宣教師の養成を目的とされた大神学校「天草コレジヨ」(天草学林)は、(「コレジヨ」というポルトガル語は英語のカレッジを意味します。)各地のセミナリオ(小神学校)やノビシャアド(修練校)で学んだ者の中から選抜されて天草にやって来た青年達が、当時バテレン追放令により天草に集結していた優秀な宣教師達から、ラテン語や神学、最新のヨーロッパの情報・文化を学びました。
付設の印刷所では、「天草本」と呼ばれる金属活字を使うグーテンベルク式印刷機による活版印刷物が多数印刷され、現存する「平家物語」や「伊曾保物語」(イソップ物語)、「羅葡日辞典」(ラポニチ辞典=ラテン語・ポルトガル語・日本語の対訳辞書)などは、当時の日本語の特徴をよく伝えるものとして現代の国語研究の一翼を担っています。
そんな天草で長く愛されている南蛮柿(いちじく)を使った料理やお菓子の「天草南蛮柿(いちじく)フェア」が天草市で開催されています。
早場米の収穫が終わった天草へお出かけされませんか?
スイーツラボ ボングー
https://www.sweetslabo-bongout.com/
南風屋(ハイヤ)
https://haiya.kataranna.com/
天草南蛮柿(いちじく)フェア2022
https://www.t-island.jp/event/2101
2022.8.24の投稿
天草エリアの情報
キュレーター 浦 ひとみ
処暑 四十候 初候綿柎開 [わたのはなしべひらく]
×天草、南蛮柿、いちじく、料理やお菓子、
天正遣欧少年使節、メスキータ神父