「人にも環境にも優しい」をモットーに 植物の持つ美や力を精一杯引き出す
[ #049 ]
#041
現代人はモノを持ちすぎといわれます。
家のなかがモノであふれている、そんなお宅も多いようです。
そんななか、断捨離という言葉がはやりました。
SDGsという目標が国連で掲げられました。現在、私たちが暮らしていくうえで「捨てないモノを選ぶ暮らし」という視点が必要なのかもしれません。そんな知恵を今回は旧家の考えに学びます。
今回は3 回目。 故・島田真佑氏ご子息のガラス工芸作家・島田真平さんと2012年に結婚。 島田家を守るかたわら、ご自身もフラワーアレンジメントの講師を勤められ「花と食のワークショップ」などを主宰されています。 |
4回にわたり島田忍さんのコラムをお届けします。
最近、ミニマリストという言葉をよく耳にします。
必要ないと思ったものはどんどん断捨離して、最低限の必要なものだけで暮らす方です。テレビや本で取り上げられているミニマリストの方々は、物を持たず、むしろ不便さを感じるほど持たない主義を貫いています。買い物もしない、趣味の道具も持たない、料理ごとに合わせるような食器も持たない。
断捨離という言葉をつきめた、持たないという選択。
持たない、買わないのだから、物を選ばない、悩むことも考えることもないというか、考える必要がないわけです。合理的で節約できてお掃除も楽なので、それに向いている人はその生活が快適なのだと思います。
でも『持たない』という個性以外に、その人らしさはどこにあるのでしょうか。
楽しみ、ときめきまでも断捨離してしまっていいのでしょうか。
大事なのは、心がワクワクするような暮らし。
そのためになにができるかということです。好きなものを吟味することの出来る審美眼があれば、物を持ちそれが増えていくことも怖くありません。いたずらに物を捨てることもないのです。
私の実家の母はお洒落もお洋服も好きで、何よりお買い物が大好き。趣味も興味もたくさんあり探究心もあるので本や雑誌も多い。茶道もやるのでお座敷にはお稽古するお道具もある。合わせて、お着物も好きなので着物や帯、その他の小物もたくさん。器や食器も日常使いの物から、お正月用、来客用まで幅広いナインナップ。好きがたくさんで毎日楽しいそうなのはよいけれど、お世辞にも整理整頓されているとは言えません。でも好きなものに囲まれて家中に母のワクワクがあると思えば、お片付けは程々で断捨離を無理にやる必要はないのかなとも思うのです。
島田の母も同じです。私の実母とジャンルは違えど、たくさんの好きを持っています。前回のコラムで紹介した写真や種をはじめ、いろんな作家さんの器や工芸品、絵画に骨董品など。それらを美しく、センスよく飾る事が得意です。見せるディスプレイは自分だけでなく、他の人の心もワクワクさせたり癒すことができるのだということを義母からも学べます。
先に述べたミニマリストとは真逆の、不必要最大限の物で楽しく暮らしている2人でも、決して生活に不必要なものを何も考えずに買っているのではありません。本当に良いものかを吟味し、心惹かれるお気に入りのものを選んでいるのです。
この、考えて選ぶといという行為が習慣になっている人は知らず知らずのうちに物を見る目が養われ、芸術という心の栄養を養分として取り込み、楽しく生活できるのではないかと思うのです。
主人が嫌いな言葉に『どっちでもいい』というのがあります。何か物を選ぶとき、例えばスーパーで食品を購入する時、せっかちな私はつい選ぶことを面倒くさがり何も考えずにカゴに入れてしまいます。ですが主人はじゃがいもやキャベツひとつにしても、必ず手に取り選びます
あまりにも時間がかかるので『どっちでもいいから早く』とせかしたことも一度ではありません。ですが主人はスーパーに限らず物選びがとても慎重です。主人曰く、慎重なのではなく、素材の良し悪しを見てこれをどう使うか、どう飾るか、使った時にどうなのかと、いろいろ想像してみるのだそうです。そこからワクワクやときめきが湧き上がるのかがポイントで、それをしっかりと考えているのだと。どっちでもいいで物を選ぶから、ゆくゆく断捨離しなくてはいけない状態になるのだと言われ、なるほどと感心した経験があります。
好きなものに囲まれて暮らすと言っても、夫婦であっても趣味や趣向はまるで違うし、家族が増えるとさらに難しくなります。
うちの場合、食器や掛ける絵などは主人の好みに合わせて選び、私の好きなものはトイレや、水まわりに飾って楽しむという暗黙のルールがあります。
小さくてもいいので、自分の好きな物を飾って楽しむコーナーがあると互いの趣味や趣向を尊重しながら豊かに暮らせると思います
最近では『君、いい物選べるようになったね』とお褒めの言葉をもらえるようになりました。主人の眼鏡に適ったものは寝室に飾って楽しみ、なにも言われなかったものはトイレに飾って楽しんでいます。
好きなものに囲まれて、自分をアップデートしながら上手に断捨離していく。
目につくところに美しいと感じるものや、訳もなく心惹かれるものがあるということは目には見えない感性を育み、心が豊かになる楽しみのひとつだと思います。それは人間として生まれてきた私たちにとって、文化的な暮らしの必要最低限なことなのかもしれません。
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