Vol.6
早春の旅食
「くまもと季節の旅食」初めての旅の舞台は、天草下島です。海と山に佇む教会堂や神社・仏閣が小さな集落のなかに共存し、和と洋の文化を受け入れたエキゾチックな街並み。2018年の世界文化遺産登録を視野に入れて、静かに動き出したこの島の“旅食”をお届けします。
美しいリアス式海岸や大きな岩礁が点在する天草市下島のドライブルート(国道389号~国道324号)。
西海岸沿いの空と海は早くも、みずみずしい夏の青をたたえています。
夕景の美しさから「天草西海岸サンセットライン」とも呼ばれる道のりを、
旬の食材や生産者との出会いを求めて巡ってみました。
月明かりが照らす山々は薄墨色に眠っていました。
午前3時の大江漁港(天草市天草町大江)、明け方の風は初夏とは思えぬほどにひんやりとしています。回遊魚の習性を利用して魚を誘い込む伝統的な「大型定置網漁(大式網)」を見せていただきたくて、「丸和漁業生産組合」を訪ねました。
「おっしゃあ、行こうか」。組合長の渕口文俊さんのひと声で船に乗り込み、船を走らせること数分。羊角湾の入り口あたりが、丸和丸の漁場です。約500mの巨大な網を上から覗き込むと、大きな魚の影がサッと横切って行きました。「おー!今日はブリのおっぞ!!」。嬉々とした声に、船上は一気に活気づきます。
ミシミシと網を上げる音が響き、それぞれの持ち場で網を手繰り寄せる漁師たち。あちこちでトビウオが跳ね、太刀魚や鯛、アオリイカが姿を現します。船底に滑り込んで氷をかき上げる人。魚を玉網(たも)ですくい上げ、トロ箱に放り込む人。一瞬で活け締めする人。絶妙なチームワークと手さばきは、目を見張るものがあります。
熊本県内唯一の大規模定置網漁が行われる大江漁港には、ブリやアジ、カマスなどさまざまな季節の魚が水揚げされます。豊漁の日は一日で2000本近く水揚げされることもあるといいます。
「季節によって獲れる魚も変わるし、最後の網を上げるまで何が入っとるかわからん。それが面白か」と渕口さん。朝の水揚げは本渡の市場へ、午後の水揚げは翌朝の熊本田崎市場へと直送されます。朝獲れの魚がその日のうちに食卓にのぼるということは、なんとも贅沢な話です。
漁師に混じって仕分けを手伝っていたのは、お隣の﨑津集落にある「海月(くらげ)」の宮下剛さん。大阪の寿司店などで修業を重ねてUターンした宮下さんは、「天草の海の豊かさを伝えたい」という思いから、天草近海で獲れた魚介のみで寿司を握ります。「今日はヒラの入っとるぞ、持っていくか?」という渕口さんに、「持っていく。どがんして食べるとがうまか?」と尋ねる宮下さん。実は「海月」はあまりメジャーではない地魚が寿司として登場することも多く、行くたびにうれしい驚きがある店なのですが、なるほどこうしたところに秘密があったのかと納得です。
このあと海岸で朝食を作るつもりであることを伝えると、「せっかくだから作りましょうか?」と宮下さんから思いがけない提案が!もちろん、断る理由などありません。
朝食ができるのを待つ間、宮下さんおすすめの「ジャルディンマール望洋閣」へ。海に面した眺望のよさで知られますが、早朝から立ち寄り湯を楽しめるとは驚きです。なめらかな湯に身を預け、体の芯まで温まりました。
究極の朝ごはんを求めていざ、﨑津へ。「海月」のカウンターには息を呑むようなご馳走が並んでいました。さきほどまで跳ねていたトビウオはお刺身と味噌叩きに。お母さん特製の塩ウニを混ぜ込んだ玄米おむすびや、みりん干し、あら汁など、“天草テロワール”と呼びたくなる朝食です。あまりの感激に「これ、絶対やったほうがいい」「寿司屋のモーニング、きっとみんな食べたいよ!」「テイクアウトでいいから」と無茶なリクエストを連発し、宮下さんを困らせました(笑)
入江を縁取る﨑津集落には教会だけでなく、神社や寺院も点在しています。天草にキリスト教が伝来して約450年。江戸期の禁教政策で仏教や神道に転じた人もいますが、さまざまな工夫を凝らし、潜伏キリシタンとして自らの信仰を守り続けた人々もいました。天草で年中しめ縄を飾る家が多いのは禁教下の名残だと言われますが、﨑津の街並みも例外ではありません。一方で、船や丘のマリア像に手を合わせて沖に向かう漁船があったり、集落を見下ろす墓地にさまざまな宗教の墓石が肩を並べていたり。「宗教に関わらず助け合って暮らすのが﨑津の魅力。信仰は本来、人の心を豊かにするものでしょう?」。﨑津教会の信者でもある海付親治さんの言葉がすべてを物語っています。歴史的な価値ももちろんですが、いくつもの干物店をハシゴしてお気に入りの味を見つけたり、地域の人と言葉を交わしてまちの風情を感じたり、南国色の花を愛でたり。歩いて初めて見えてくるこのまちの「いま」はとても魅力的です。
山手の今富集落では、さわさわと波立つ稲田が出迎えてくれました。江戸期の干拓によって広大な田畑が生まれ、農業や林業で栄えた地域です。倉田さん親子が営む「愛らん農園」では極早生~早生~中生と多品種の米を栽培し、早くも7月の下旬から稲刈りシーズンを迎えます。家族総出で多品目の野菜の栽培にも取り組んでいるそうで、息子の晋幸さん自慢の畑には手のひらサイズのカボッコリーや有機で育てるキャベツがびっしり。「うちの野菜のうまさはどこにも負けません!」。自信たっぷりの晋幸さんの表情に天草の未来を見たようで、私たちもワクワクしました。
天草では最近、8つの製塩所でつくられる天然海塩に注目が集まっています。
天草町大江の須賀無田海岸で20年以上にわたり、製塩を行う「天草塩の会」の松本明生さんを訪ねました。徳島で生まれ育った松本さんは、30代で昔ながらの天然海塩に興味を持ち、伊豆の「自然食用塩研究会」で修業。塩専売制の影響で古来の塩づくりが途絶えてしまっていた九州で「もう一度、塩づくりを復活させたい」と、製塩に適する浜を探し歩き、この海岸にたどり着いたのだといいます。「美しい海水がある場所でないと、塩はつくれません。つまり、僕が20年以上もここで塩をつくり続けられるということは、この海の美しさが保たれているということでもあるんです」。
そんな松本さんの言葉を胸に歩いた砂浜は、波に洗われたサンゴのかけらや、色とりどりの貝殻でいっぱいです。ごつごつとした岩のくぼみで見つけた潮だまりには、イソギンチャクやヤドカリ、エビといった小さな生き物たちの姿も。幼い頃に夢中で遊んだ磯の風景が、今もそのまま残っているということのありがたさをあらためて、噛みしめました。
国道389を北上し、五和町へ。通詞島の北側にある「自然食品研究会」は木口孝さんの製塩所です。天草下島と島原半島の間に広がる「早崎瀬戸(早崎海峡)」が木口さんの取水ポイント。「北側は民家が一軒もないほど北風がすごいんです。台風の時などはヒヤヒヤですが、自然はその分いい塩をもたらしてくれる」と木口さんは話します。
海水の美しさや日照・風通しの良さなど、島特有の地形を利用してつくる天然海塩。それはまさに、天草を表す食材です。
この旅で出会った人と食材、風景にインスピレーションを得て生まれた、今回の「くまもと季節の旅食」をご紹介しましょう。
「丸和漁業組合」の大型定置網で穫れたトビウオは、天日塩とニンニクの香りを効かせた一品に。トマトの酸味で食が進みます。小ぶりの鯛は軽く塩焼きにして、出汁とともに炊き上げる鯛めしに。シンプルですが海の滋味たっぷりのご馳走です。「愛らん農園」の彩り豊かな有機野菜は、天草で養殖される車海老とともにグリル料理に。こちらは野菜と藻塩の旨味で味わいます。