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Vol.32井上 泰秋 さん
Vol.31宇土秀一郎 さん
Vol.30島田真平 さん
Vol.29ヤマチクの“持続可能な”竹の箸 さん
Vol.28美里町のぶらり歩き
Vol.27菊池川流域の文化にふれる
Vol.26熊本の城下町の防御網
Vol.25阿蘇市の農耕行事 御前迎えの儀
Vol.24神々の自然と祭事 阿蘇森羅万象と阿蘇神社
Vol.23芦北町田浦の郷土芸能 宮の後臼太鼓踊り
Vol.22荒尾市野原八幡宮 野原八幡宮風流
Vol.21天草市一町田八幡宮虫追い祭り
Vol.20国選択無形民俗文化財
八代市坂本町木々子地区
の七夕綱
Vol.19西橋銑一さん 淸美さん 後藤幸代 さん
Vol.18尾崎 吉秀 さん
Vol.17村上 健さん 井上昭光 さん
Vol.16盛髙経博さん 盛髙明子 さん
Vol.15古島 隆さん 古島隆一 さん
Vol.14松村勝子さん 倉橋恭加 さん
Vol.13川嶋富登喜さん 川田 富博 さん
Vol.12寺本美香 さん
Vol.11細川亜衣 さん
Vol.10坂元光香 さん
Vol.9上野友子 さん
Vol.8國武裕子 さん
Vol.7山村唯夫 さん
Vol.6水戸岡鋭治 さん
Vol.5茨木國夫 さん
Vol.4狩野琇鵬 さん
Vol.3小野泰輔 さん
Vol.2土山憲幸 さん
Vol.1小山薫堂 さん
全国に誇る「熊本酵母(きょうかい9号酵母)」があるほど、日本酒との関わりが深い熊本。赤酒をお屠蘇として嗜んだり、宴会のことを「飲み方(のみかた)」と言ったり、独自の文化や言葉が生まれることからも、根っからの「呑んべえ」が多い地域なのかもしれません。今回、お話を伺った方も、自他ともに認める「呑んべえ」。『熊本國際民藝館』館長であり、小代焼ふもと窯の代表の井上泰秋さんです。3月31日まで行われていた展示「肥後の酒蔵と民藝」は、まさにお酒が大好きな泰秋さんならではの企画。熊本の日本酒の全蔵元が集まった展示でした。「酒器にこだわると、酒の味わいが変わる」。そう語る泰秋さんに、酒器の世界をナビゲートしていただきます。
井上 泰秋(いのうえたいしゅう)さん
1941年、玉名郡南関市生まれ。熊本県工業試験場・窯業部に進学した1957年から陶芸の世界へ。修了後、京都の日展作家・森野喜光氏に師事する。1965年に『肥後焼窯元』として独立。1968年には、地元・熊本に戻り、荒尾市府本で窯を開き、『小代焼 ふもと窯』と名前を改める。現在、その規模は、6袋の登窯を所有する小代焼最大級。日本陶芸選ほか入選・入賞歴多数。『熊本國際民藝館』館長、『熊本県民芸協会』会長を務める。
「どんな場面にも酒はつきもの」。泰秋さんが酒を覚えたのは、陶芸の世界に浸り始めた頃と重なります。「日常の器を作るものとして、どんな場面で使われるのか、酒がどんなものかを知らんとでけん!と教えられ、酒を嗜むようになりました。そしたらすっかり呑んべえになっちゃいましたね」。それから、茶道の世界を学び、そこで登場する酒の楽しみ方も知り、さらに経験と知識を重ねていきます。どのようにして手に持ち、酒を注ぎ、口へ運び、飲み干した後はどうなるのか…。自らが体感したことを作品作りに生かし、生活にすっと溶け込む作品が仕上がっていくのです。
今回お邪魔した『熊本國際民藝館』は、「暮らしの中で日々働いてくれる物」を展示し、「民藝によって美しい暮らしを実現しよう」という提案を行っている場所。2021年3月31日まで開催されていた「肥後の酒蔵と民藝〜日本酒の歴史あれこれ〜」では、熊本県酒造組合・全10蔵元の酒器や酒造りにまつわる道具が展示されていました。「酒を好きになる入口は何でも良いので、酒の美味しさ、楽しさ、酒が心を癒してくれることを知ってほしいと思い展示を行いました。各蔵元選りすぐりの展示は、見応えがありますよ」と泰秋さん。
その言葉どおり、熊本における日本酒に関する歴史や技術、移りかわりなど、あれこれを知ることができ、日本酒をより豊かに楽しめるキッカケになる内容になっていました。まさにこの展示は、民藝館の「美しい暮らしの実現を」という想いと共に、つくり手でもある泰秋さんの「酒の良さを知ってほしい」という想いが重なったもので、「熊本県の酒蔵が一同に介するのは珍しいこと。こんな酒蔵があったんだという発見にもつながりますよ」と泰秋さん。
「酒器の歴史は日本酒の歴史と共に変化します。例えば、ひょうたんに酒を入れていた時代から、焼き物の器に変化したことで保存が効くようになります。すると、酒にコクが出て旨くなる。ただの入れ物から、より旨くする役割を持つ器に変わっていったんです。猪口やぐい呑みなども同じで、どぶろくから、大吟醸などの上等な酒が生まれ、種類も増えていくと、それと共に、その酒をより美味しく味わうために器が進化していったのです」。
陶芸作品といえば、茶碗や皿、湯呑みなどの日用品といった馴染みの深いものが多いです。そんな中でも、酒器はニーズが高いそう。つくり手として60年以上、酒器を作り続ける泰秋さんはこう語ります。
「酒を知らんと酒器を作ることはでけん!と教えられ、酒を知り、酒の魅力に気づいたわけですが、まあ、そうは言ってもスタイルは人それぞれです。一升瓶でそのまま飲むもよし、湯飲みで飲むもよし、楽しみ方はそれぞれ。そんな美味しい酒が、酒器をこだわると、より美味しくなって、酒の場がもっと楽しくなりますよ、という提案ですね」。
ダイレクトに酒の味を楽しむ猪口、ぬる燗や熱燗でフワッとした香りを楽しむぐい呑み、薄手の盃はスーッとした飲み心地を楽しめ、近年では、香りを楽しむためにワイングラスで…、なんて楽しみ方も増えてきています。
現在、熊本には10の酒蔵があり、日本酒づくりを行っていますが、大徳利を造り酒屋に持参し、酒を量り売りしていた明治・大正時代までは、造り酒屋は地区ごとにあったと言います。それほど、暮らしの一部であり、日常に欠かせない存在だったというわけです。その後、今では当たり前にある一升瓶が誕生し、そのスタイルは徐々に減少していき、造り酒屋も減少していきます。
「ぐい呑みに酒を注ぐ際は、なみなみ注ぐのではなく、3分の1に止めましょう。酒と共に器を一緒に楽しむのが、粋な愉しみ方なんです」。さらに、器を両手に包み込みながら話を続ける泰秋さん。「飲み終わった酒器の中に残ったほんの少しの酒は、手に馴染ませ、その手で器を撫でてあげるんです。酒が馴染んだ器は生き生きとしてきて、良い表情になっていきますよ」。同じ器でも、使い手によって表情が変わっていくということ。経年美をも楽しむ酒器の世界は、なんとも奥深いものです。
「肥後の酒蔵と民藝」では、泰秋さんがこれまで育ててきた酒器の中から選りすぐりのコレクションが展示されています。陶器から、木製、ガラス製までさまざま。そのどれも、酒を囲んでの思い出が刻まれた、愛しいものばかり。
最後に、泰秋さんの作品・高杯(こうつき)を手に、「これは“馬上杯”と言われ、かつて馬の上で酒を飲みやすいようにと考えられた形です。他にも、屋外で熱燗を楽しめる持ち運び燗つけのセットや、腰に下げて仕事の合間に飲めるよう、腰にフィットした形の抱瓶(だちびん)など、いつでもどこでも酒を楽しむ工夫をしていたことからも、酒飲みはいろいろ考えるんだな〜と感心するし、酒好き日本人の執念を感じますよ」と泰秋さん。
「楽しい場に酒はつきもの。酒器にこだわれば、さらに楽しい」。
1日でも早く、大切な人たちと集える日を待ちわびながら、酒と酒器の世界を味わってはいかがですか。
今村 ゆきこ
フリーライター&エディター。熊本第一号温泉ソムリエ。熊本愛強めで、グルメ、観光、農業など、幅広く活動中。