
その他の「こよみのお話」へのナビゲーションエリア 飛ばしてページ内容へ
Vol.32井上 泰秋 さん
Vol.31宇土秀一郎 さん
Vol.30島田真平 さん
Vol.29ヤマチクの“持続可能な”竹の箸 さん
Vol.28美里町のぶらり歩き
Vol.27菊池川流域の文化にふれる
Vol.26熊本の城下町の防御網
Vol.25阿蘇市の農耕行事 御前迎えの儀
Vol.24神々の自然と祭事 阿蘇森羅万象と阿蘇神社
Vol.23芦北町田浦の郷土芸能 宮の後臼太鼓踊り
Vol.22荒尾市野原八幡宮 野原八幡宮風流
Vol.21天草市一町田八幡宮虫追い祭り
Vol.20国選択無形民俗文化財
八代市坂本町木々子地区
の七夕綱
Vol.19西橋銑一さん 淸美さん 後藤幸代 さん
Vol.18尾崎 吉秀 さん
Vol.17村上 健さん 井上昭光 さん
Vol.16盛髙経博さん 盛髙明子 さん
Vol.15古島 隆さん 古島隆一 さん
Vol.14松村勝子さん 倉橋恭加 さん
Vol.13川嶋富登喜さん 川田 富博 さん
Vol.12寺本美香 さん
Vol.11細川亜衣 さん
Vol.10坂元光香 さん
Vol.9上野友子 さん
Vol.8國武裕子 さん
Vol.7山村唯夫 さん
Vol.6水戸岡鋭治 さん
Vol.5茨木國夫 さん
Vol.4狩野琇鵬 さん
Vol.3小野泰輔 さん
Vol.2土山憲幸 さん
Vol.1小山薫堂 さん
今回からの「こよみのお話」は、家族でつないできたものづくりにスポットを当てます。今回の主役は、八代地域で生産されているい草です。
日本国内で流通する国産のい草は、そのほとんどが熊本県の八代地域のもの。全国で生産されるうちの、9割以上が八代地域といわれています。ただ、現在住宅などで使われる畳表は約8割が中国産。国産の畳表は、安価な中国産との価格競争の波にのまれ、生産者の数は、年々減少しています。熊本県の経済を支える基幹産業として、最盛期には八代地域で3500戸以上の農家が携わっていましたが、現在では約400戸と大幅に減り、高齢化と後継者不足に悩まされています。その一方で、八代産い草の品質の良さが再認識されはじめ、原草の価格が昨年よりも高値を付けるなどうれしいニュースも飛び込んできました。
高い品質を誇る八代産のい草を使った製品は畳表が代表的ですが、今回の特集では、視点を変えてい草の魅力を伝える“新しい風”をご紹介します。
村上 健むらかみ けん(写真左)
明治43年創業の村上産業株式会社の4代目。畳を光らせる「HIKARI-TATAMI」をはじめ、い草製品に独自の“アイデア”を盛り込んだ製品を開発。八代産のい草の価値を高めるために、研究機関と協力しながら、新しい展開を模索している。
井上昭光いのうえ あきみつ
い草縄工房 井上産業の2代目。初代の井上勇さん、百合子さんの後を継ぎ、3代目の息子、謙次郎さんとともにい草の細縄製造に取り組む。縄練り機を独自に開発。「いやしマット」が熊本県物産振興協会優良新商品銀賞を受賞。
何百年、何千年と続く伝統文化のなかに“新しい風”を起こすことはアイデアとして語るのは簡単かもしれませんが、それを行動に移し、実行していくのは並大抵のことではありません。
現在“伝統”として受け継がれているものも歴史をひもといてみると、案外、当時は革新という名の新しい風によっていまに伝わっているものがあるのかもしれません。
そう考えることで、ちょっと手の届かない、近寄りがたいように感じていた伝統的なものが、時代、時代の人の手によって、もまれて、工夫されて、磨かれ、そして愛されてきたものとして、ぐっと親近感がわいてくるから不思議です。
[HIKARI-TATAMI/村上産業]
八代産のい草の良さを、もっと伝えたい。
付加価値をつけ、い草の魅力を発信できないか、と動いている若き経営者がいます。
八代市千丁町に明治から続く、い草製品を取り扱う村上産業の4代目、村上健さんです。
八代産のい草を使い、村上さんが独自に開発したのが「HIKARI-TATAMI」。
そう、文字通り、光る畳なのです。これは、畳の中にLED照明を組み込み、電源を入れると畳自体が幻想的な光を放つというもの。
旅館などの商業施設をはじめ、個人住宅や、展示場に使われています。
「ありそうでなかった、この畳が光るアイデアはどこから?」、とお尋ねすると「飲食店や商業施設などさまざまな場所で照明を使った演出を見る度にとても綺麗だなと感じていました。
そこで、畳と照明を組み合わせてみてはどうだろうか、と思いました」とのこと。
家業に入ったのは、10数年前の23歳の時。
その頃、中国産の台頭によって苦戦を強いられていた八代地域のい草農家さんの現状を知り、なんとかしたい、という思いもあり、さまざまな方向で模索している中浮かんだのが、前述の光る畳のアイデアでした。
畳自体を光らせるというアイデアを実現するためには、畳の中に照明を入れればいい、という単純なことではなかったようで、「一番の問題は、畳表の編み方。一般的な畳表では、光を透過しません。どう編んだら、イメージ通りに畳を光らせることができるか。その部分がいちばん苦労しました」と、当時のことをふりかえる村上さん。
つくり方を何通りも試して、試行錯誤を重ね、海外も視野に入れながら「HIKARI-TATAMI」を広めていったといいます。
そもそも、い草農家は、い草を栽培して、収穫するまでが仕事ではなく、泥染め、乾燥、選別、そして畳表まで編み上げるところまで一貫して行っているところがほとんど。
その畳表を市場や業者に出し、その先で畳として製品化されていきます。
農家の手間と負担が大きく、価格の上下はまさに死活問題でもあります。
村上さんは、い草の生産者から畳表やい草を買い取る業者にあたります。
「付加価値のある畳は、それだけ販売価格が上がります。畳表にする工程は独自で開発したので、い草農家さんからは乾燥したい草を納品していただいているので、高値で買い取ることにもつながります。
HIKARI-TATAMIは、品質の良い八代産のい草を広めていくための、ひとつの手段。今後も、新しいい草の活用法を模索していきたいと思っています。」
村上さんは、現在も研究機関と共同で、い草の新しい活用法を研究しているといいます。畳だけでない、インテリアだけでない、これまでの概念を一新するくらいの、い草の“材料”としての可能性を探っていきたいと意気込んでいます。
[い草縄工房/井上産業]
ピンチはチャンスを生み出すもの。
それを見事にまで体現しているのが、い草縄づくりのい草縄工房 井上産業2代目の井上昭光さんです。
井上さんがい草縄の製品づくりに取り組むきっかけとなったのが、1995年の阪神・淡路大震災。
それまで、初代の井上勇さんとともに、農業のかたわら竹細工やわらの縄をつくっていました。
木造建築の“えつり竹”や、造園などで使われる“かます”が主な製品でしたが、震災の影響で、木造建築の需要が減るとともに井上さんが手がけていた製品の需要が激減したといいます。
「需要がなくなった、だけど、縄をつくる技術はある。だったら、日本一の細い縄を、どこにも無い縄をつくってみよう、と初代の父が言い出したのがきっかけ。地元の八代の基幹産業であったい草は、長くて、畳表として使われるもの以外は、燃やされていた。
そこで、燃やされていた不揃いのい草を有効に使おう、わらよりも、い草の方が、細い縄づくりには適している、と」。
どこよりも細く、そして強く、しなやかに。
初代の井上勇さんは、日本一の細縄をつくる、という目標に一途に取り組んでいたそうです。
その挑戦を2代目である井上さんが引き継ぎ、い草の細縄づくりがある人物との出会いによって思わぬ方向に展開していくことになります。
福岡の博多駅で開催された八代物産会に出店していた井上さんの細縄の作品に魅了された人物。
その人こそが、九州新幹線つばめをはじめ、多くの観光列車の車両デザインを手がけ、九州の“ものづくり”をふんだんに車両の中に取り入れて話題となった工業デザイナーの水戸岡鋭治さんでした。
九州新幹線つばめの中に、のれんとして取り入れられた井上さんのい草縄の作品は、話題となりました。
それからほどなくして、家庭用のい草縄ののれんとして販売されるようになり、一般家庭で使えるものづくりにシフトしていったといいます。
「取り引きしているのは、10軒のい草農家さん。八代産のい草は質が高く、なかでも良質なものをつくると評判の方ばかりです。
一般の人たちに、い草の新しい使い方を伝えていきたく、展示会に行ってはお客さんと話しをして、製品づくりのヒントを得てきました。出かけた先では、いろんなインテリアショップを見てまわって何かいいものはないか、探し歩いていますよ」と語る井上さんは、とにかく好奇心旺盛。
その好奇心が、新しい製品づくりにつながっているようです。
現在、い草縄工房 井上産業を井上さんとともに切り盛りしているのは、3代目である謙次郎さん。
「猫伏(ねこぶく:い草縄のマット)を編み上げる機械は、3代目じゃないと扱えないくらい。頼りにしています」と、井上さんが受け継いできた、細縄づくりの技術とものづくりの精神は、確実に受け継がれています。
畳だけでない、い草の新しい使い方を発信することで八代産のい草の魅力を伝えることにつなげていく。
そんな力強い思いが、ものづくりを楽しむ井上さんの姿からひしひしと伝わってきます。
家業として取り組んでいるものづくりの現場に、地域の産業を未来につなぐ“新しい風”を感じました。