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Vol.32井上 泰秋 さん
Vol.31宇土秀一郎 さん
Vol.30島田真平 さん
Vol.29ヤマチクの“持続可能な”竹の箸 さん
Vol.28美里町のぶらり歩き
Vol.27菊池川流域の文化にふれる
Vol.26熊本の城下町の防御網
Vol.25阿蘇市の農耕行事 御前迎えの儀
Vol.24神々の自然と祭事 阿蘇森羅万象と阿蘇神社
Vol.23芦北町田浦の郷土芸能 宮の後臼太鼓踊り
Vol.22荒尾市野原八幡宮 野原八幡宮風流
Vol.21天草市一町田八幡宮虫追い祭り
Vol.20国選択無形民俗文化財
八代市坂本町木々子地区
の七夕綱
Vol.19西橋銑一さん 淸美さん 後藤幸代 さん
Vol.18尾崎 吉秀 さん
Vol.17村上 健さん 井上昭光 さん
Vol.16盛髙経博さん 盛髙明子 さん
Vol.15古島 隆さん 古島隆一 さん
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Vol.13川嶋富登喜さん 川田 富博 さん
Vol.12寺本美香 さん
Vol.11細川亜衣 さん
Vol.10坂元光香 さん
Vol.9上野友子 さん
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Vol.6水戸岡鋭治 さん
Vol.5茨木國夫 さん
Vol.4狩野琇鵬 さん
Vol.3小野泰輔 さん
Vol.2土山憲幸 さん
Vol.1小山薫堂 さん
地域で大切に守り、受け継がれてきている風俗習慣があります。手から手へ、または口伝えで受け継がれてきた風俗習慣は、その地域をひとつにつなぐ役割を担っていることも多々あります。今回からの「こよみのお話」では、熊本県各地に伝わる、後世に残していきたい風俗習慣、祭事などをご紹介します。今回は、毎年8月6日に開催されている八代市坂本町木々子(きぎす)地区に伝わる七夕綱です。
【七夕綱とは】
八代・芦北地方に伝わる旧暦の七夕に行われる伝統行事。稲ワラで編んだ長い綱を天の川にみたてた川の上に張り、そこにワラ製の彦星様や織姫様などの人形やさまざまな形の飾りを吊るすもので、全国的にも類例が少ない「綱張り」の形態をとっている行事です。
七夕といえば、願いごとを書いた短冊を笹の葉にぶら下げる「七夕飾り」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。熊本県八代市坂本町の木々子(きぎす)地区や、葦北郡芦北町の上原、岩屋川内、下白木、祝坂の5つの地域には、全国でもめずらしい「七夕綱(たなばたづな)」と呼ばれる伝統行事が残っています。これは、星祭りの要素だけでなく、防災儀礼や農耕儀礼といった性格を伝える行事でもあり、わが国の七夕行事の地域差や変遷を知るうえで貴重な風俗慣習です。そういった背景から、「国選択無形民俗文化財(記録作成の措置を講ずべき無形の民俗文化財)」に選択されています。今回は、その「七夕綱」が行われる8月6日(旧暦の七夕、8月7日の前日)に、八代市坂本町木々子地区を訪ね、八代七夕綱保存会の取り組みを取材してきました。
旧暦の七夕に合わせて、毎年8月6日の早朝から伝統行事の「七夕綱」が行われる、八代市坂本町木々子地区。集落に向かって車を走らせると、細い山道をくねくねと登った静かな山あいに、22世帯70名ほどが暮らす集落が見えてきます。この日は、保存会のメンバーが、お堂と公民館の二手に分かれて準備を行うというので、まずは集落の入り口にある公民館へ向かいました。部屋には、すでに完成した稲ワラ製の愛らしい人形が集合。舟に乗った彦星様と織姫様の姿があるかと思えば、わらじ、タコ、卵、鶴、亀など、形もさまざまで、見ているだけで心がほっこりします。「今日一日で、ワラ細工を作り上げるのは難しいので、前もって準備を行っています。ここに並んでいるのは、2日間かけて作ったものです。この後、お堂に移動したあとも作りますので、よかったらご一緒にどうぞ」と、保存会会長の久保田賢一さん。聞けば、住民以外の人でもワラ細工の体験できるそうで、わくわくしながらお堂へ向かいました。
急な斜面を登って、次々と保存会の方が集まってくるお堂は、「七夕綱」の製作には欠かせない場所。大正時代初期に建てられたものではないかといわれています。東西南北には、守り神の木彫りが配され、正面を見上げると神の使者とされるウサギのコテ絵も拝むことができました。
さあ、いよいよ作業のスタートです! まず、原料となる稲穂を水で濡らしてから、専用の道具で叩いて、編みやすくしていきます。こういった力仕事は、男性の役目。左手で稲ワラを回転させながら、柔らかくなるまで100回ほど叩きます。下準備が終わると今度は、編み手のおばあちゃんたちが、手先を起用に動かしながらせっせとさまざまな形の飾りものを編んでいきます。ワラ製の飾りを作るのは、おばあちゃんたちがメイン。川に渡す、綱づくりはおじいちゃんたちの担当。役割分担もばっちりです。
ものごとがうまくいきますように、との願いを込めた「馬」のほか、疾病などの不幸を「通さん」という意味を込めて13個という数にこだわった「卵」。作るものによって、昔からの言い伝えがあるものもありますが、こういうものを作らないといけない、という決まりごとは特にないそう。縁起のいい亀や鶴もあれば、八代の妙見祭でお馴染みの「蛇亀(きだ)」(通称、ガメ)と呼ばれる頭が蛇で体が亀という空想上の生き物を再現したものまで、飾りの種類は多彩です。
この日のお堂は、朝からとてもにぎやか。集まったおばあちゃんたちは、手づくりの帽子を一様にかぶり、楽しそうにおしゃべりしながら慣れた手つきで編み進めています。みんなが口をそろえて草履名人と呼ぶ、米村妙子さんの手さばきを見ていると、それはそれはお見事。手と足の両方を上手に使いながら、みるみるうちに草履を編み上げていくのですが、驚くのは、目線の先でお隣の人の手先をちらちらと確認しながら、必要に応じてアドバイスをしながら、自分のものも同時進行で編み上げていく姿。草履を編み上げるだけでも大変なのに、御年88歳の妙子さんのワラ細工を編むスピード、そして「作る」と「教える」を同時にやってのける神業に、釘づけになってしまいました。「七夕さんは、あまりキレイに作るのは好かっさん。こんな風にざっと編むのが良か」と冗談半分に話をする妙子さんですが、ワラ細工の腕は熟練のおばあちゃんたちでさえも、一目置く存在。いつまでもお元気でいてほしい存在です。
この七夕綱ですが、正確にはいつから始まったのかは定かではないそうです。戦時中に一度途絶えてしまいましたが、昭和50年頃に老人会の人たちにより復活。現在は、平成27年に立ち上げた保存会のメンバーが中心となり、受け継がれています。地域で育った稲ワラを使って綱やお飾りを作るのも、ここでのお約束ごとですが、稲作農家は現在2世帯にまで減少。「ここは、昔から棚田でお米などの農作物を作り、自給自足で暮らしてきた地域。七夕綱には、お米を収穫できた感謝の気持ちもあるんですよ」と会長の久保田さん。昭和40年代には、八代・芦北の30の地域でおこなわれていた七夕綱ですが、現在八代地域に残るのは木々子のみ。高齢者が多く暮らす地域だけに、後継者不足などの課題を抱えています。地域外の人も招いて、一緒に稲ワラの飾りを作るようになったのも、これからも七夕綱を継承していきたいという住民たちの思いの表れでした。
8月6日に七夕綱をおこなうのは、旧暦の七夕の夜に彦星様と織姫様が綱を渡って出会えるようにとの願いのほかに、疾病や悪霊を集落に入れない、お盆に先祖の霊を迎えるといった意味が伝わっています。
朝8時に始まった製作も約2時間で終了。お堂にはたくさんの飾りが完成しました。最後の大仕事は、中谷川の上に張り渡す作業ですが、綱の長さだけで40メートル。そこに飾りをぶら下げて渡すので、容易ではありません。飾りをバランスよくぶら下げ、声を掛け合い苦戦しながらも、最後はチームワークの良さで、無事今年の七夕綱が張り渡されました。大空に浮かぶその様子を見て、住民の皆さんも満足げ。自然と拍手が沸き起こりました。
ひと仕事を終えた後は、場所を公民館へ移し、交流会という名のたのしい食事会が開かれました。地元のお母さんたちがつくる夏野菜たっぷりのだご汁や、煮しめ、おにぎり、お漬物などがテーブルにずらり。料理を担当したお母さん方の愛情が伝わってくるお料理の数々に、ついつい箸も進みます。田植えの時期には、麺状にのばした団子と、あずきで作る「田植えだご汁」が定番。地域に伝わる料理の話も興味津々で、おいしい時間を堪能しました。
この地区では、七夕綱の他にも、旧暦の月見におこなう十三夜、彼岸、山の神祭など、年間を通して守り継がれる行事があり、そのたびにこうした交流を深めているそう。8月6日の一日で目の当たりにしたチームワークの良さも、和やかな雰囲気も、木々子の皆さんがずっと大切に受け継いできたもの。全国でも珍しい七夕行事の「七夕綱」がこれからも大切に受け継がれてゆくことを願いつつ、山里の暮らしの魅力に触れた貴重な時間となりました。