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九州の中央に鎮座し、年間3000㎜といわれる降水量により四方に流れる川の源である阿蘇山。約9万年前の噴火では噴出量が約600立方㎞を超えると推定されており、火砕流は九州中央部を覆い一部は海を越えて山口県秋吉台まで達したといいます。そのような阿蘇は古くから信仰の対象になってきました。このコラムでは阿蘇神社と阿蘇の信仰についてご説明します。今年の春のお祭りについては3月24日の取材を経て次回掲載する予定です。
【阿蘇神社とは】
阿蘇神社は、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神12神を祀り、2000年以上の歴史を有する古社です。古来、阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬を集めてきました。
宮司職を世襲する阿蘇氏は、わが国でも有数の旧家として知られています。中世には武士化して肥後国を代表する豪族に成長しました。500社に及ぶ分社があるのは、こうした歴史背景に理由があると考えられています。
(「肥後一之宮・阿蘇神社」ホームページより)
中国の史書「隋書・倭国伝」(636年 「列伝第四十六 東夷」)に、「有阿蘇山其石無故火起接天者 俗以為異因行祷祭」とあります。「阿蘇山が噴火すれば、住民は異変が起きたとして祭祀を行う」という記述で、外国の書物で阿蘇山について記した最初の例となりました。火山を知らない中国の人にとって遣隋使が語った阿蘇の話が最も印象深かったのでしょう。その後に成立したとみられる「筑紫風土記」では、阿蘇火山の自然描写に続いて火口がある阿蘇中岳は神であり阿蘇神宮そのものであると記されています。
また720年に完成した「日本書紀」の景行天皇紀では、天皇が阿蘇国で神と対面したというくだりがあります。阿蘇津彦・阿蘇津姫の二神が人の姿となって現れ阿蘇に人が住んでいることを天皇に伝えました。それまでの九州巡幸における各地の記述では天皇と地域勢力との恭順か対立が語られていることから、阿蘇は特別な地域だったようです。外輪山に囲まれた高地であり、平地の政争から隔絶された平和な社会だったのかもしれません。
むかし阿蘇の各地にはたくさんの神々が祀られていました。
中世の阿蘇社の神事には七十二膳の供物が並べられ、七十二カ所の神名が読み上げられていたといいます。
阿蘇各地の神々はその故地を残しながら、平安時代末頃に本社の祭神十二神のうちに参加し、序列に組み込まれることとなりました。当時生じた中央政府との関係の変化により、地域の自立と自活を模索するなかで進められた統合だったようです。
それらの神々をまつる者は神々の子孫とされる阿蘇郡各地の代表者であり、彼らによる阿蘇本社での祭祀は、阿蘇社の存続を神前で誓約する場でもありました。
それから現代まで阿蘇神社はそれぞれの社の中心となることで、阿蘇地域の多くの地域の人々の心の依りどころとなっていったのです。
阿蘇神社の社殿は東を向いています。
「阿蘇大明神流記」の別説では卯の日、卯の刻に大木が生え、御座が定まったという記述がありますが、宮柱を立て阿蘇社が創建された出来事を投影しているものだと考えられます。
東の方角は十二支でいえば卯の方角。
そして今年も三月の卯の祭りの期間中、三日目の巳の日から亥の日までの七日間。年祢社と旧社家宅と阿蘇神社で「田作り祭」が行われます。
中世の頃の田作り祭は六夜七日続く阿蘇社の社家の祭でした。六夜七日続く祭りは二月の初巳の日に年祢社で祭神起こしをしたあと、社家を神輿が回り、神楽が舞われ、四日目の申の日には天宮祝(てんきゅうのほふり)宅でご神体に御衣を着せ、一日一夜の祭を行います。そして最後の亥の日は年祢祝宅で田作り神事をして豊穣を祈りました。
しかし江戸時代には歳の神のご神体は妃神のご神木に変わり、阿蘇宮で婚儀が行われるようになり、明治四年に社家制度が廃止されてからは阿蘇神社の神職によって旧社家宅を回って宅祭が継続されています。
熊本地震のあとも歴史に則り、阿蘇の繁栄を願う祭事として今年も執り行われる田作り祭。くまもと手しごと研究所では、田作り祭四日目の「御前迎え」から「火振り神事」までの一連の神事を取材します。
今年の田作り祭りの特集をどうぞご期待ください。
※本稿制作にあたっては学生社刊「阿蘇神社」(阿蘇神社第91代宮司 阿蘇惟之編)を参考にしました。