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阿蘇市の農耕行事 御前迎えの儀さん
阿蘇市の農耕祭事 田作り祭

阿蘇の開拓の祖神をまつるとされる阿蘇神社には、貴重な農耕祭事が伝わり、昭和57年に「国重要無形民俗文化財」に指定されています。毎年3月に行われる「火振り神事」は多くの観光客でにぎわうため、よく知られていますが、実はこれは「田作り祭」のほんの一部というのはご存知でしたか?
3月の始めの卯の日から、次の卯の日までの13日間豊作を祈る「卯の祭」。その中の巳の日から亥の日までの7日間が「田作り祭」です。一体何が行われているのでしょう? 今回は、火振り神事が行われる「御前(ごぜ)迎えの儀」の1日に密着しました。

Vol.25

阿蘇市の農耕行事

御前迎えの儀

【御前迎えの儀とは】

田作り祭は、国龍神(くにたつかみ)が姫神を迎える結婚の儀式です。7日間あり、その4日目・申の日に姫神を迎える「御前迎えの儀」があります。
阿蘇神社から約12キロ離れた「吉松宮」で姫神をつくり、9地区を経て神事・直会(なおらい)を繰り返します。朝8時半頃に阿蘇神社を出発し、再び戻ってくるのは19時。丸1日かけて行われる儀式です。

阿蘇の田作り祭は、旧暦によって日程を決めているため、祭日は毎年異なります。密着したこの日は、日曜日ということもあり、火振り神事を目当てに多くの観光客でにぎわうことが予想されました。
しかしながら、阿蘇神社に到着したのは、朝8時前。観光客もまばらで静けさに包まれた中に、ザッザッザッザ、と砂利を歩く足音が響いてきました。聞こえてきた方向を見ると、神職と、神輿を担いだ氏子が参道を周回しています。出発前の儀です。7周りした後、南門守社にて誓紙を「御前迎えの儀」を担当する神職に手渡し、赤水にある「吉松宮」に出発します。「お嫁さんを無事に阿蘇神社にお連れするんだよ」。そんな感じでしょうか。

静けさの中に響く砂利を踏む音が幻想的。

昔のまま残る農耕祭事。
変わらないルートを進み地域の人たちに迎えられる

阿蘇神社から約12キロ離れた「吉松宮」では、地域の人たちが待っています。樫の木・枝葉、かずら、三つ又が前日に用意され、この時を待ちます。到着すると目隠しをした神職が樫の木を選び、比咩御前(ひめごぜ・姫神のこと)をつくるのです。その様子は誰も見ることが許されないため、カンカンッと拝殿から何かしらの音は聞こえてきますが、気になってものぞいたらダメです。地域の人たちも、それを守り続けてきました。

吉松宮を守り続けている地域の方々
神事が執り行われます

1時間ほど外で待ち、姫神さまが完成します。御神体は3体つくられ、左側は姫神さま。右側はお供2体のものです。三つ又が使われているのが、姫神さまの目印だそうです。拝殿に入り、神事が執り行われます。先ほどまで談笑していた人々も、キリッと表情が変わり、総代表の島川さんを始め、組長、区長と玉串を供えお参りをします。神事の後は、直会(なおらい)のスタートです。「姫神を無事に阿蘇神社へお届け出来るように」という願いを込めて、神酒(みき)で乾杯し、食事をみんなでいただきます。
昔は、この地域では「かしわ飯」が用意されていたようですが、現在集まっている人たちは60・70代が中心。高齢化により食事の内容も変化し、現在は仕出しを用意しているようです。

完成した御神体。左手が姫神さま。三つ又が目印です

約20分の直会を終え外に出ると、地域の人たちが御神体の周囲に集まります。御神体を氏子青年の2人がアーチのようにかかげると、人々はそのアーチを往復し、葉をちぎります。
縁起物として持ち帰り、神棚に供えることで、五穀豊穣・家内安全が約束されると言い伝えられているのです。

直会の後、御神体をくぐります
ちぎった葉は持ち帰り神棚へ。これで今年は安泰です

吉松宮から、姫神さまを連れて各地域へ出発です。かつては馬と徒歩で移動していましたが、現在は「浜神社」まで車で移動。受け継がれてきた習わしにも、ちょっとした変化はあるようです。「浜神社」でも神事・直会が行われます。
阿蘇神社の祭事に活躍している馬たちは、阿蘇の牧場からやってきた2頭で、どちらも穏やかな性格。ぶっくり膨れたお腹には、赤ちゃんがいるそうです。

浜神社。立派な拝殿です
お煮しめや漬物など、地域の人たちの手作り
出産を控えた馬たちと、御神体の葉をもらいにきた地域のおばあちゃんたち

ここからは、神職の2人は馬にまたがって、氏子青年の2人は徒歩で移動します。直会でお酒や食事のもてなしを受けた神職は、春の心地よい陽気、馬の揺れに、「気持ちよいですよ」と話してくれます。
氏子の2人は、姫神さまとお供を抱えて歩いていますが、ほんのり赤い顔でほろ酔い気分。これが9カ所続くのですから、お酒が強い人が、この役の絶対条件のようです。

【写真(左)】 路地裏をゆったり進む一行
天候も穏やかで野焼きも行われていました
孫と一緒に一行に声をかける地域の人たち

住宅街をパッカラパッカラと進む一行。庭でBBQを楽しんでいる若い世代のお宅では、突然の出来事に大興奮。さらに、お婆ちゃんが孫を抱いて葉をもらいに駆け寄ったり、車を停めて窓から葉をちぎったりと、さまざまな交流が生まれます。
昔から変わらないルートを進むため、阿蘇駅前のロータリーを通ったり、国道57号線を横切る際は、何が起きているのか分からない観光客から、「?」が飛び交っているようでした。

迎える地域に受け継がれる
農耕祭事への想いを垣間みる

民家に馬で辿り着き、神事と直会を執り行う場面もあります。そのうちの一軒・日野さん宅は、庄屋があった場所に移り住んだことをキッカケに、50年以上前から座元として受け入れています。ご主人の他界後も、奥様とお子さんたちが意志を受け継いでいるのです。
若い神職よりも昔のことを知っている地域の人たちなので、昔話に花が咲きます。

座元の日野家のみなさん

西町の薬師堂で弓矢を受け取ります。馬と別れた後は、塩井神社へは徒歩で向かい、清めの儀式を行います。白い幕で覆われた場所で、姫神さまをお清めする神職の2人。この様子もまた決して見てはいけません。
「見たら目がつぶれるから」と地域の人たちに釘をさされました。続いては、化粧原です。
日も傾き始め、強い西日に包まれた一行は、道なき道を進みます。すると、迎えの人たちが雑木林の前で待っていました。さらに道なき道を進み辿り着いた民家では、姫神さまにシトギで化粧をします。
密室で行われ女子禁制。これもまた見ることは出来ません。

【写真(左)】
あぜ道を進む場面も
【写真(右・下)】
塩井神社。右手の白い幕の中で清めの儀が執り行われます
「どこに行くんだろう?」と不安になるほどの細道を進む一行

その頃、阿蘇神社は、「火振り神事」の見物客であふれていました。祭事や火振り体験の説明などがあり、人々は姫神さまの到着を待ちます。到着の一報が伝えられると、結婚を祝う火の輪が廻り始めます。
静かな中、豪快に廻る火の輪。一行はその歓迎を受け、拝殿に静かに入っていき、「神婚の儀」が執り行われます。照明を落とし暗闇になった拝殿。観光客も静粛にするため、多くの人がいるにも関わらず、静まり返った阿蘇神社に幻想的な時間が流れます。
この様子も見ることは許されず、目を閉じるように促されるため何が行われているかは見ることが出来ません。無事に夫婦となった神様は、阿蘇神社を出発。年祢(としね)神社で新婚生活を送るのです。

【写真(左)】
阿蘇神社参道ではステージイベントが開催されていました
【写真(右・下)】
地域の中学生・高校生・しめ縄保存会によって作られたかや束は1,300個
まずは地域の人たちが廻し、姫神さまの到着を歓迎します
一行が到着後、拝殿で新婚の儀が行われます

熊本地震から3年、楼門の修復に着手、高さ26メートル近い覆屋が組まれることから、参道から神殿を見渡すことができるのは今年が最後でした。
完全復旧に向け歩み続ける阿蘇神社と農耕祭事は、これからも毎年景色を変えながら執り行われます。
そして……、思い返せば3年前の地震が1カ月早く起きていたら、2016年の田作り祭は中止になっていた可能性もありました……。この祭事は、五穀豊穣を約束してくれるもの。この祭事をキッカケに、阿蘇地域の田おこしがスタートするのが決まりです。
つまり、地域の人々のモチベーションにつながる祭事ということ……。多くの観光客でにぎわう火振り神事の裏には、地域の人々と共に守られてきた物語があるのです。

神様が出発後、観光客の火振り体験がスタートします。昔は家の前で行われていましたが、なぜか事故はなかったそうです
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